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ののさまほっこり和かな暮
史実淡々
原作者   KENTWEB
原作名   JOYFULNOTE
縦書編集  私塾鶴羽實
編集者名  岩田修良
縦書改名  常世の手紙
住 所   〒四三八ー〇〇八六
      磐田市見付二七八六
電 話   〇五三八-三三ー〇二七三
FAX   〇五三八-三一ー五〇〇三
韓国との外交交渉
韓国との外交交渉は 以下二点を
担当者が 以下の史実を自分の頭で
事前に整理して置くことが肝要

①釜山の草梁倭館の接収といふ名の略奪
 幕府と朝鮮は
 「草梁倭館」を基点に良好であった
 朝鮮政府は 十萬坪もある「草梁倭館」を
 対馬藩に無償貸与
 幕府は そのお返しとして
 将軍の代かはりに 通信使を無料ご招待
 その規模 三百から五百人
 大名行列に近い賑はひで 大いに文化の交流があった
 その後 幕府の経済的圧迫から
 朝鮮通信使の交流が衰へたが
 幕府時代 朝鮮とは 互ひを思ふ気持ちがあった
 新政府になり 新政府が親書を渡すと
 朝鮮政府は 頑なにその親書の受け取りを拒否した
 その動機は 未だ明らかにされてゐないが
 幕末当時国内に流行った 佐藤信淵の『混同秘策』が
 誰かによって朝鮮訳され そのあらましが
 多少 わかってゐたのではないかと思はれます
 その書は 今では
 私たちの国でもあまり知られてゐませんが
 『国史辞典』に
  平田篤胤の国学を受けて
  日本は世界万国の根本であり
  やがて 世界を支配すべき国 
  
  とある様に
  日本が世界をどう侵略し どう支配すべきか
  さういふことが書かれてをります     
  つまり
  世界支配の方法を具体的に示す本であり
  世界侵略の拠点は『東京』にせよと指示され
  世界侵略は 取り易き所から取れと指示され
  幕末の志士と今でも仰がれる吉田松陰は
  鬱陵島を兵站基地にすることも勧めてゐます
  こんな書物の内容が 幾分か貴国に流れ
  これを根拠に 新政府の侵略意図を読み取り
  国書を受け取らなかったのではないか
  また取易き所は 満州であると書かれてゐます
  その満州への侵攻の足がかりを何処にするか
  新政府 ここでは当時の様子から見まして
  当時の政府を 暴力革命政府と呼びますが
  革命政府は 釜山ー安東ー満州を想定
  その足がかりとして釜山の『草梁倭館』を選び
  遂に 軍艦を持ち出し
  力づくで 草梁倭館を接収した
  それが貴国に取っては略奪に見えた
  この時の外交官で高野と申す者がをりましたが
  高野は 朝鮮政府は 怖がってゐるから
  その点を考慮して外交を進むべき
  そんな朝鮮思ひの人のゐましたが
  政府に押し切られ 草梁倭館を
  革命政府は 接収してしまひました
  私たち石破新政府は
  この史実をしかと受け止めます
  だから 韓国政府の親交は釜山に始まると考へます
  釜山に日韓親交の拠点を作りませんか?

 ②安重根氏の怒りについて
  先程申し上げましたやうに
  革命政府のアジア侵略は規定路線でした
  当時 鉄道は
  釜山ー鴨緑江河口の安東まで延び 
  安東から奉天まで延びてゐました
  ところが
  安東から奉天の区間は 軽便線と言って
  線路の幅が 一般より狭いものでした
  したがって 列車は 奉天までは行けるが
  その先の満州鉄道に 入れません
  だから 革命政府は
  朝鮮と清国で 長年もめてゐた
  鴨緑江北部の間島地方に眼をつけました
  当時の清国は 鴨緑江以北が清の領土
  朝鮮側は もともと そこは朝鮮人が住む
  よって鴨緑江より北の間島地方は朝鮮の領土
  このやうな主張で おほよそ二百年位
  清と朝鮮で国境問題がありました
  日本の朝鮮支配によって
  貴国の独立義勇兵は この間島地方に逃れ
  そこで 韓国朝鮮の独立を夢見てゐました
  そこに安重根氏がゐました
  それまで 安の父親と重根氏は親日派でした
  しかし 日本が韓国の外交権を奪ひ
  韓国の外国権を所有した日本は
  清国と日本で話合ひ
  安東ー奉天線の線路変更工事の承認を得
  清国は 
  日本から間島地方清国領土の承認を得て
  長年の火種であった間島地方が
  清国領土となりました
  これに怒ったのが安重根氏でありました
  しかし 監獄での毅然とした態度に
  一人の看守が この人は
  立派な方であると安重根氏を敬ひます
  ここに人と人との厚い信頼が生まれます
  不幸にして史実に疎くなった私たち
  いや貴国も さうかもしれません
  このやうな不幸の現実を再現させぬためにも
  お互ひの史実をお互ひが知る
  そんな時機に来てをります
  その意味で
  釜山に『史実淡々・草梁倭館』を作り
  平和大使を育成し そこに配置
  両国一人一人の二人がペアを組み 
  来館者に 互ひの歴史を語り合ふ
  そんな交流を始めませんか 
  私ども石破新政府は
  貴国とのそんなお付き合ひが
  親交の始まりと考へます
 
①②のことを自分の頭で
  自分の言葉で語れる様に
  韓国との外交交渉担当者は
  用意しておくべきではないか
user.png 岩田修良 time.png 2024/12/16(Mon) 11:18 No.143 [返信]
返信一覧
安重根の人柄と東洋平和論
明治四十二年(一九〇九)
 十月二十六日午前九時
  ハルピン駅にて 伊藤博文に発砲 暗殺
 十一月 三日 旅順監獄に収監
        この時の監獄の看守が千葉十七である
        千葉は 初め「安」を極悪人と決めつけてゐたが
        「安」の礼節ある態度
        言葉の端々から出る人柄に触れ
        「安」を尊敬するやうになってゐた
        
明治四十三年(一九一〇)
 正月元旦   千葉は 犯行の動機を聞いた
「安」は言ふ
 大韓国の歴史は 日本より古い
 古来東洋の各民族は 自国を大切にし
 他国を侵略したといふことはなかった
 ところが ここ数百年欧州列強は
 武力を以て他を侵略することを常とし
 近事 それを東洋に及ぼした
 特に ロシアはその最たるものだった
 日露戦争では開戦にあたり 日本は
 「東洋平和」を維持し 韓国独立を鞏固する 
 との勅語を発したので
 韓国人民は 日本を応援した
 日本は予想に反し 勝利を得ることができたが
 ロシアに勝ってからは 韓国・清国を裏切り
 むしろ侵略する政策を展開した
 自分は この自国の危機を座視できず 立ち上がった
 自分たちは 韓国の独立のみならず
 日本も 清国も含めた東洋の平和を念願してゐる
 自分の行為が
 あとに続く憂国の同志の決起を促し
 韓国永遠の歴史に 一個の捨て石になれば満足である

明治四十三年(一九一〇)
 二月二十四日 死刑判決を受ける
  その死刑判決を受けた三日後
 二月二十七日
 平石氏人(ひらいしうじんど)の聴取書が残ってゐる
 それを「天地之詞」で打直し 縦書詩文に改めた

日韓清は 兄弟の国
親密に過ごして来たが
今は まるで兄弟仲が悪く
ある人が 他の人を助けない
こんな状態だから 世界に向かって
不和であることを公表してゐるやうなものだ

日本が 今すべき政策は
日本が「旅順」を開放して
そこを日・韓・清の共同軍港とし
三国から平和の有志を募って「旅順」に集め
「平和会」といふやうなものを組織し
それを世界に公表することだ

日本に領土的な野心がないことを 世界に示すのです
だから 
日本は いったん「旅順」を清国に還して
その「旅順」を平和の根拠地とするのが
最も賢明な策となると信じます

「旅順」を清国に還すことは
日本にとっては 苦痛かもしれません
しかし 還すことによって
かへって利益を生むことになるのです

世界諸国は
日本の「旅順」返還の英断を讃へ
日本を称賛し 清国と韓国を加へ
日・清・韓は 
永久に平和と幸福を得ることになるでせう
ー以下略ー

その「東洋平和論」の聴取が終はって
 三月二十六日 死刑執行され「安」は 他界
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/16(Mon) 18:49 No.146
天地之詞
①五十音図

 ○ │ ○  │ ○  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 ○ │ ○  │ ○  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 ○ │ ○  │ ○  
   │ ○  │

 井に○を置いた
 ヒントは五十音図の『十言郷』
 ワヰウヱヲ である
 真字にすると…
 和井○惠遠

 ところで 片字(かたな)のワ字の語源は
 ワ=和・輪(○)
 これをヒントに 意味が通る様に
 ワヰウヱヲ を 真字にすると
 ○井植ゑ遠
 これをヒントにできた五十音図が

 ○ │ ○  │ ○  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 ○ │ ○  │ ○  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 ○ │ ○  │ ○  
   │ ○  │

 これだけならば
 今のスマホ入力も 五十音図に近い

②何を植ゑるのか
 遠を植ゑる
 明らかに 五十音図は さう指示する
 ここで『遠』を解析する

 遠=十一之イロハ
  =東夷の色は

 ここで『東夷の色は』を探す
  元文元年(一七三六)
  僧全長『以呂波字考録』を著す
  そこに 和が国の『いろは文字』の俗称を幾つか挙げる
  とりわけ 目立つ俗称は
  いろは文字=東夷文字
       =夷文字
  東夷は 大和朝廷に忌み嫌はれた蛮族である

 東夷のいろは文字
 今では『いろは歌』が思ひ浮かぶが
 赤穂の討ち入りで使用された
 山? 川 の『天地之詞』がある

 あめつち
 ほしそら
 やまかわ
 みねたに
 雲霧
 室苔
 人犬
 上末
 由王さる
 遠不世与
 江乃○於
 奈禮居天 

 私説が苦しいのは
 東大の国語学者の橋本博士が残す以下の文言

 天地
 星空
 山川
 峰谷
 雲霧
 室苔
 人犬
 上末
 硫黄猿
 生ふせよ
 榎の枝を
 馴れ居て

 従って 辞書には全て この文言が載る
 これを誤りと定めて直した『天地之詞』が
 前述の『天地之詞』である

 あめつち
 ほしそら
 やまかわ
 みねたに
 雲霧
 室苔
 人犬
 上末
 由王さる
 遠不世与
 江乃○於
 奈禮居天

③東夷の色はを『五十音図』に植ゑる

 あめつち=あ行(詳解後述)
 ほ   =は行
  しそ =さ行
    ら=ら行
 や   =や行
  ま  =ま行
   かわ=か行・わ行
 みね  =三音(三打法)
   た =た行
    に=な行

④出来上がった『五十音図』が以下

は┃さ┃ら
━┃━┃━
な┃あ┃や
━┃━┃━
た┃か┃ま
  わ   
  
⑤さらに 
 阿=今は省略結論先行 井のロ
 伊=今は省略結論先行 イ・左 
 宇=今は省略結論先行 ウ・右
 江=今は省略結論先行 イの上
 於=今は省略結論先行 アの上の字

⑥出来上がった五十音図

 は │ さ宇 │ ら  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 な於│ あ阿 │ や  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 た江│ か伊 │ ま  
   │ わ  │    

⑦みね=三音=三打法

 あ=あ+阿+は
 め=ま+江+は
 つ=た+宇+は
 ち=た+伊+は

⑧ネット時代の『天地之詞』

 は │ さ宇 │ ら  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 な於│ あ阿 │ や  
ーーー│ーーーー│ーーー 
 た江│ か伊 │ ま  
   │ わ  │  
造語法(三音)
 あ=あ+阿+は
 め=ま+江+は
 つ=た+宇+は
 ち=た+伊+は 

 この詞が
 天地を動かす
 つまり 動画に煽られて動くのは
 人の浮ついた心であって
 その言動で 天地は動かない
 天地を動かすのは
 人の言葉ではなく
 五十音図に語られた『十言郷』
 すなはち『天地之詞』である

結論
 この力をも入れずして
 天地を動かす詞を放置して
 西洋の「ローマ字」で 造語したり
 根拠のない「JIS配置」で 造語したり
 「スマホ入力」で 造語するから
 この世が荒れる
 石破首相は直ちに 私案を受け入れ
 デジタル庁に「天地之詞」の普及を指示
 これを受け 平将明氏は 
 関係機関に 
 ・テンキー入力
 ・キーボード入力
 ・スマホ入力 を可能にする環境を作ることを指示
  この場合 混乱が起きぬやうに
  従来の入力は 全て残し
  政府は 自然放置で『天地之詞』の普及を待つこと

追伸
 筆者はATOKのスタディプロを
 キーボードにカスタマイズして 入力可能にしたが
 現在の新しいATOKでは そのカスタマイズ不可
 よって 
 和が国の貴重な『天地之詞』は
 絶滅の危機の中にある
 
 こころある人 これを受け
 「天地之詞」の普及に動かれたし
user.png 岩田修良 time.png 2024/12/16(Mon) 09:48 No.142 [返信]
返信一覧
遠の解析
144 
 
 
 
 
 
 
遠=十一之イロハ
 =東夷の色は
  
  あめつち
  ほしそら
  やまかわ
  みねたに

天地之詞を持たぬ民族の方々は
どうしても 持たぬゆゑに
宇宙は『数』で出来てゐる
さう早合点したがるが 
それは『天地之詞』を持たぬ宿命の帰結である

『天地之詞』を持つ民族は 
持たぬ国とは当然 宇宙の起源が異なる
私たちは 宇宙は『数』ではなく
     宇宙は『詞』で出来て居る
かう 西洋と思想の違ひを堂々と語れる人物がゐない

この場合『詞』とは何か…
 詞=言・司
   言=ロ三ヽ
    =井ヽ三
   司=ロシ
    =ワジ
    =和字

 詞=井ヽ三和字
     あ=あ+阿+は
     め=ま+江+は
     つ=た+宇+は
     ち=た+伊+は

今 筆者が言ふ『天地之詞』
昔 高天が原
  これは 以下の解析でわかる
  高天が原=たかまがはら
      =手鎌が原
        手(た)鎌で
        言草刈り取る原っぱ
        そんな意味だらう

 太陽と青空のなほ高い所に存する
 だから『高天が原』
 それは主題の下段の住所覧の絵詞の世界
 
 私たちは 大事な大事な『絵』と『詞』を失ってゐた
 その間に 色々な悲劇が生まれた
 しかし 天地之詞が 現れた今
 そんな世の中は 終はって行くのではないか…

user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/16(Mon) 12:13 No.144
あ字観
145 
 
 
 
 
 
 
平安時代の『あ』字
『安』の草書体
よくよく見ると
安=あめつち の合成語に見える
といふか そのやうに見えるやうに
当時の人々は書いてゐる
和が国は 空海の『阿字』ではなく
安心 あめつちの『あ』字
つまり『天地之詞』に帰れ!
さういふ意味を込めて
あ=あめつち と読める字を書いてゐたのだらう 

この『あ』字を つまり
この『安心』を
井字の中の土真ん中に納める

どういふ意味か…
『天地之詞』の中に潜む『安心』は
井土のどまんなかにある
さう言ふ意味だと考へたい

詞の『安心』

  ○ │ ○  │ ○  
 ーーー│ーーーー│ーーー 
  ○ │ あ  │ ○  
 ーーー│ーーーー│ーーー 
  ○ │ ○  │ ○  
    │ ○  │  

ところが『スマホ』の『あ』 

  ○ │ ○  │ ○    
 ーーー│ーーーー│ーーー 
  ○ │ ○  │ ○  
 ーーー│ーーーー│ーーー 
  あ │ ○  │ ○  
    │ ○  │  

どういふことか…

本来の位置に『安心』ありとすると…
スマホの『あ』は『不安』となる

大人は 耐性がある
子供は 耐性が弱い 
だから 『不安』の煽りを受けやすい

子音の配置だけでも
『天地之詞』に したがってもらひたい

  は │ さ宇 │ ら  
 ーーー│ーーーー│ーーー 
  な於│ あ阿 │ や  
 ーーー│ーーーー│ーーー 
  た江│ か伊 │ ま  
    │ わ  │    

どこに配置したって同じだ
さう思ふ人もゐるだらう
しかし
慣れ親しんだ
 アイウエオが
 アエイウオとか
 アオエウイに 突然変はったら
 建物が傾くやうに
 文字も傾いてゐる様に感じる筈だ
 井の『あ』は ど真ん中に納めたい
 子音配置は 五十音図ではなく
 天地之詞に したがってもらひたい

user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/16(Mon) 16:29 No.145
天保八年 竹島渡航禁止
天保八年(一八三七)二月 

 幕府 竹島などへの渡航を厳禁すると共に
 海上での異国船交渉・遠洋航海禁止

 右島(竹島)
 往古(おうこ)は
 伯州米子(はくしゅうよなご)の者ども
 渡海・魚類等いたし候へといへども
 元禄の度(とき)
 朝鮮国へお渡し 相なり
 以来渡海禁止仰せ出された場所にこれあり
 全て異国渡海の儀は ご禁制
 右の島々も 同様に相心得
 渡海いたすまじく候
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
  往古=おうこ
    =昔
  伯州=山陰地方の古名
  米子=鳥取
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
元禄年間を追ったら
度々 竹島は日本の領土だから
朝鮮人が ここで釣りをするは違法である
こんな申し立てが三度くらゐ出て来たので
明らかに 元禄初期は 竹島を日本の領土とみてゐた
しかし 最後に
地形的にみると 朝鮮の方が近い
これから推測すると 昔は地続きではなかったかと推測し
朝鮮の地とするが道理である と
説いた文を朝鮮に出してゐた
これ以後 日本は竹島への渡航を禁止してゐる
幕府が 竹島を異国の地とみてゐたからだらう

この後に 赤穂の討ち入りがあった
忠臣蔵の前の話かと思ふと
随分前から 朝鮮と竹島の領土問題があり
それなりに決着をつけてゐたのだな と しみじみ思った
user.png 岩田修良 time.png 2024/12/15(Sun) 17:32 No.141 [返信]
返信一覧
イカサマはびこる一因
安永十年  (一七八一)四月一日
天明元年  (一七八一)四月二日

天明九年  (一七八九)一月二十四日
寛政元年  (一七八九)一月二十五日

寛政十三年 (一八〇一)二月四日
享和元年  (一八〇一)二月五日

享和四年  (一八〇四)二月十日
文化元年  (一八〇四)二月十一日

文化十五年 (一八一八)四月二十一日
文政元年  (一八一八)四月二十二日

文政十三年 (一八三〇)十二月九日
天保元年  (一八三〇)十二月十日

天保十五年 (一八四四)十二月一日
弘化元年  (一八四四)十二月二日

弘化五年  (一八四八)二月二十七日
嘉永元年  (一八四八)二月二十八日

嘉永七年  (一八五四)十一月二十六日
安政元年  (一八五四)十一月二十七日

安政七年  (一八六〇)三月十七日
万延元年  (一八六〇)三月十八日

万延二年  (一八六一)二月十八日
文久元年  (一八六一)二月十九日

文久四年  (一八六四)二月十九日
元治元年  (一八六四)二月二十日

元治二年  (一八六五)四月六日
慶応元年  (一八六五)四月七日

慶応四年  (一八六八)九月七日
明治元年  (一八六八)九月八日

明治四十五年(一九一二)七月二十九日
大正元年  (一九一二)七月三十日

大正十五年 (一九二六)十二月二十四日
昭和元年  (一九二六)十二月二十五日

昭和六十四年(一九八九)一月七日
平成元年  (一九八九)一月八日

平成三十一年(二〇一九)四月三十日
令和元年  (二〇一九)五月一日

平成三十一年四月五日生まれは
 確かに令和元年生まれだが
 令和元年は五月一日から始まるから
 令和元年生まれではなく
 平成三十一年四月五日生まれである

平成元年一月八日生まれは
 確かに昭和六十四年生まれだが
 昭和六十四年は一月七日までだから
 昭和六十四年生まれではなく
 平成元年一月八日生まれである

ペリー二度目の来航は 嘉永七年一月十六日
 確かに安政元年だが
 安政元年は十一月二十七日から始まるから
 安政元年ではなく
 嘉永七年一月十六日である
 しかし 教科書は安政元年と書く
 インチキである
 今 インチキ・イカサマが流行るが
 その大きな一因は ここにある
 一日でも早く 和暦を取り戻すべきである
 このイカサマを放置してゐるから
 世にイカサマが流行る

 人の深奥に「史心」あり
 

 
 
user.png 岩田修良 time.png 2024/12/15(Sun) 08:30 No.139 [返信]
返信一覧
幕末経済の混乱に学ぶ
嘉永七年 ペリー二度目の来航時
 横浜村で 日米和親条約を結ぶ
 その後 入港時の石炭・飲料水等の代金の取り決めが
 下田で取り決められた
 一ドル=イチブ銀一枚
 一対一 の交換比率であった
 その後 オランダ・ロシアと追加条約を結ぶが
 この時も 一ドル=イチブ銀一枚
 しかし アメリカは これを不当として
 一ドル=イチブ銀三枚を要求
 その使者として送られて来たのがハリスであった
 ハリスの主張に負け
 いや ハリスの意見が合理的に見えた日本は
 ハリスの意見に従った
 この日本側にとって不当な交換を放置したために
 和が国は 幕末物価上昇で大混乱となった
 それは 不当な交換を そのまま放置したためだった
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 この教訓を 今にあてはめてみた
 
 ①…誤った和暦の放置
 ②…ネット通信の横書放置
 ③…ネット時代造語法「天地之詞」の放置
 
 この三つを放置したが故に
 和が国は 荒れに荒れ 
 イカサマ・インチキ常態化
 政権握る政治家諸氏も 平然とインチキ・イカサマ
 恥づることなく むしろ当たり前だと胸を張る
 だから
  ①…正しい和暦を!
  ②…縦書通信を!
  ③…入力は 和が国古来の「天地之詞」で!
 しかし この三つの指摘を ほぼ全員が軽んずる
 そこに世の中大荒れ潜むこと気づかず

 文字は 生きてゐる
 間違ひなく 生きてゐる
 和暦も同じ 和暦も生きてゐる
 人に道がある様に
 文字にも道がある
 真っ直ぐ縦に下りる道である
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/15(Sun) 09:09 No.140
医王 仮説ー実験ー検証
医王の詩
 ののさま
 ほっこり

仮説
 医王の詩で 病が治る
実験
 腰痛・痛風の持病持ちだから
 治るまで歌ひ続けてみる
結果
 腰痛が治ったり
 痛風発作激減すれば
 仮説=真の可能性あり
user.png 岩田修良 time.png 2024/12/11(Wed) 20:22 No.115 [返信]
返信一覧
医王の詩
昨年度
 ほっこり
 ほっこり
 とことん
 ほっこり
 
 こんな音色を推定したが
 絵体も 実体も 定めることはできなかった
 しかし リハビリ・サイクリングで使用した
 やがて 秋になると 医王の詩は
 「くぬぎの黄葉」に移行してゐた

今年度の医王の詩
 ののさまほっこり
 
 絵体も 実体も 詞も揃った
 今年度の「医王の詩」は
 もし 医王の詩=有り とせば
 かなり 真相に近づいてゐる そんな気がする
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/12(Thu) 16:25 No.126
医王
医王=王ノ八コエ
  =王の八聲

   ゛      
 への    /  
   も へ  一 
 への    \  
 ーーーーー\   

のの=のの
へへ=さ(詳解『和かな暮』)
もへ=ま(詳解『和かな暮』)
じ =し 二
  =し し
  =二二二二
  =ホ こり
  =ほっこり

医王=王の八聲
   ののさま
   ほっこり

誰を『王』とするか 人それぞれだが
本紙では 和王『へのへのもへじ』と定めて研究した
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/12(Thu) 17:02 No.127
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