ののさま ほっこり
大日のらい
原作名 JOYFULNOTE
縦書編集 私塾鶴羽實
編集者名 岩田修良
縦書改名 椢の手紙
住 所 〒四三八ー〇〇八六
磐田市見付二七八六
電 話 〇五三八-三三ー〇二七三
FAX 〇五三八-三一ー五〇〇三
六心
一部修正しながら「六心」
一 人心
二 上心
三 天心
四 清明心
五 史心
六 本心良心
新党 本心良心(予定)
新国 和(のどか)
選挙運動 和ブログ
動画・街宣・チラシ撒き等一切不要
一 人心
天地之詞
二 上心
ののさま ほっこり 大日 のらい
三 天心
大日 のらい 清く明るく とことん豊
四 清明心
清く明るく とことん和
五 史心
史実淡々 和かな暮
六 本心良心
とことん豊 とことん和
本心良心の実体
庭鶴の葉…とことん
隣鶴の葉…豊
東和の家…とことん 和
本心 とことん豊
良心 とことん和
心には 絵体もあれば 実体もあり 音色もある
絵体も示せず 実体も示せず 音色だけ語る
偽物である
偽物を見抜く力が無いから
動画の再生回数に依存する
多いから安心できる さう思ふ
詳細は 和ブログの単語和解に譲るが
安心は そこにはない
確かに 再生回数が少ないから優れてゐるとは言へない
奥深い真相は一つ
物事や意見の伝達手段である
人の話し言葉に 天地を動かす威力はない
天地を動かす詞
それは「詞」である
詞=二ロ二・ヽ二ーロ
=十井レ・ヽ三 ワ
=十井し・ヽ三 和
=十井じ・ヽ三 和
=十井ヽ三和字
世界に誇る 天地を動かす詞である
は │ さ宇 │ ら
ーーー│ーーーー│ーーー
な於│ あ阿 │ や
ーーー│ーーーー│ーーー
た江│ か伊 │ ま
│ わ │
あ=あ+阿+は ←十井の三和字
め=ま+江+は ←十井の三和字
つ=た+宇+は ←十井の三和字
ち=た+伊+は ←十井の三和字
和ブログ=十ロノハ ロブログ
=十井ノしノワブログ
=十井のじの和ブログ
=十井の字の和ブログ
和が国には
天地をも動かす詞があった
それに気づかず呑気に暮らすから
語気の強い人に 心を動かされ 心戸惑ふ
西欧にペコペコする時代は 終はった
平和を構築する一葉が 和が国にある
平和=十十ロハノ一ハ
=和二ロくノ一葉
=和フロぐの一葉
=和ブログの一葉 である
それは 十井の三和字の一葉である
これに気づかず スマホ入力を続ける
ローマ字入力に拘る JIS入力に拘る
足下にある和文化に気づかずに暮らしてゐるだけだ
一 人心
二 上心
三 天心
四 清明心
五 史心
六 本心良心
新党 本心良心(予定)
新国 和(のどか)
選挙運動 和ブログ
動画・街宣・チラシ撒き等一切不要
一 人心
天地之詞
二 上心
ののさま ほっこり 大日 のらい
三 天心
大日 のらい 清く明るく とことん豊
四 清明心
清く明るく とことん和
五 史心
史実淡々 和かな暮
六 本心良心
とことん豊 とことん和
本心良心の実体
庭鶴の葉…とことん
隣鶴の葉…豊
東和の家…とことん 和
本心 とことん豊
良心 とことん和
心には 絵体もあれば 実体もあり 音色もある
絵体も示せず 実体も示せず 音色だけ語る
偽物である
偽物を見抜く力が無いから
動画の再生回数に依存する
多いから安心できる さう思ふ
詳細は 和ブログの単語和解に譲るが
安心は そこにはない
確かに 再生回数が少ないから優れてゐるとは言へない
奥深い真相は一つ
物事や意見の伝達手段である
人の話し言葉に 天地を動かす威力はない
天地を動かす詞
それは「詞」である
詞=二ロ二・ヽ二ーロ
=十井レ・ヽ三 ワ
=十井し・ヽ三 和
=十井じ・ヽ三 和
=十井ヽ三和字
世界に誇る 天地を動かす詞である
は │ さ宇 │ ら
ーーー│ーーーー│ーーー
な於│ あ阿 │ や
ーーー│ーーーー│ーーー
た江│ か伊 │ ま
│ わ │
あ=あ+阿+は ←十井の三和字
め=ま+江+は ←十井の三和字
つ=た+宇+は ←十井の三和字
ち=た+伊+は ←十井の三和字
和ブログ=十ロノハ ロブログ
=十井ノしノワブログ
=十井のじの和ブログ
=十井の字の和ブログ
和が国には
天地をも動かす詞があった
それに気づかず呑気に暮らすから
語気の強い人に 心を動かされ 心戸惑ふ
西欧にペコペコする時代は 終はった
平和を構築する一葉が 和が国にある
平和=十十ロハノ一ハ
=和二ロくノ一葉
=和フロぐの一葉
=和ブログの一葉 である
それは 十井の三和字の一葉である
これに気づかず スマホ入力を続ける
ローマ字入力に拘る JIS入力に拘る
足下にある和文化に気づかずに暮らしてゐるだけだ
返信一覧
五心発見
一 人心
二 上心
三 天心
四 清明心 ネット時代 和たぐ新聞
五 史心 ネット時代 和ブログ
詳解は「和ブログ」 ここでは結論先行
一 人心
天地之詞
二 上心
ののさま ほっこり 大日のらい
三 天心
大日のらい 清く明るく とことん豊
四 清明心(和たぐ新聞)
清く明るく とことん豊
五 史心(和ブログ)
史実淡々 和かな暮
和王 へのへのもへじ
国典 天地之詞
この二つを世界に誇る和文化と照準を定めて研究
結果 右の五心を得ることができた
教典なく人道を求むを 「思ひつき」と言ひ
王や教典を以て 道を求むを「和解(わげ)」と言ふ
文学に於いては 和解(わげ)だが
数学に於いては 和と分解のベクトルの「和解」をさす
よって 「和ブログ」では
史実を淡々と綴りながら
時に 数学のベクトルの「和解」を説く
「和」と「分解」の勉強には 最適だからだ
二 上心
三 天心
四 清明心 ネット時代 和たぐ新聞
五 史心 ネット時代 和ブログ
詳解は「和ブログ」 ここでは結論先行
一 人心
天地之詞
二 上心
ののさま ほっこり 大日のらい
三 天心
大日のらい 清く明るく とことん豊
四 清明心(和たぐ新聞)
清く明るく とことん豊
五 史心(和ブログ)
史実淡々 和かな暮
和王 へのへのもへじ
国典 天地之詞
この二つを世界に誇る和文化と照準を定めて研究
結果 右の五心を得ることができた
教典なく人道を求むを 「思ひつき」と言ひ
王や教典を以て 道を求むを「和解(わげ)」と言ふ
文学に於いては 和解(わげ)だが
数学に於いては 和と分解のベクトルの「和解」をさす
よって 「和ブログ」では
史実を淡々と綴りながら
時に 数学のベクトルの「和解」を説く
「和」と「分解」の勉強には 最適だからだ
返信一覧
史心を育む
岩田修良
2025/01/28(Tue) 07:57 No.232
磐田南進学専門塾から どう移行するのか…
そこが 大きな問題だった
年老いてまで 受験の下請け塾では 余りに寂しい
さりとて 何をどう教へたらいいのか…
何を どう育めばいいのか…
そこに辿り着けず 七年過ぎた
途中 新しい国のもととなる政党を考へた
あれこれ迷ひながら 辿り着いた結果は以下
何を育むのか
和ブログで史心を育む
どう育むのか
・「十井の三和字」と
・「縦書詩文」で育てる
学ぶ言語…十井文字・HTML・CSS(高等数学のベクトル)
歴史 …幕末から大東亜戦争まで
対象
小学生からお年寄りまで
どんな暮らしが待ってゐるのか
とことん豊・とことん豊
どんな暮らしか
東和古民家 (とことん・豊)
二個庭鶴の色葉(とことん・豊)
詳細は「和ブログ」で…
そこが 大きな問題だった
年老いてまで 受験の下請け塾では 余りに寂しい
さりとて 何をどう教へたらいいのか…
何を どう育めばいいのか…
そこに辿り着けず 七年過ぎた
途中 新しい国のもととなる政党を考へた
あれこれ迷ひながら 辿り着いた結果は以下
何を育むのか
和ブログで史心を育む
どう育むのか
・「十井の三和字」と
・「縦書詩文」で育てる
学ぶ言語…十井文字・HTML・CSS(高等数学のベクトル)
歴史 …幕末から大東亜戦争まで
対象
小学生からお年寄りまで
どんな暮らしが待ってゐるのか
とことん豊・とことん豊
どんな暮らしか
東和古民家 (とことん・豊)
二個庭鶴の色葉(とことん・豊)
詳細は「和ブログ」で…


国造私案
党名 大日のらい
国名 和(のどか)
国歌 平和の詩
由来
和=十ハノロ
=東和の二二
=東和のイへ
=東和の家
東和=東・禾・ロ
東=十ロ+小
=二ワとこ
=庭床
禾=ノ+ハ
=ム
ロ=二二
=くリ
東和=庭床ムくり
=庭床起
=庭床+起屋根の家
平和=十 ハノ・ロ ・二ーハ
=二二話の・二二・三ハ
=十二話の・ナナ・ノ三し
=十二話の・七 ・の三詩
詳解・和ブログ(結論先行)
十二話(=奈禮居天)
大日のらい(奈示)
清く明るく(豊)
とことん豊(居天)
研究当初の予定
古代の神や仏の用語を使用せず
和が国の信仰とか 祈りを探すつもりだった
しかし
「大日のらい」だけは
どうしても 排除しきれず
当初の予定は 自分勝手な思ひ込みと判断し
私説を退けることにした
結果 私説は 馬鹿げた新興宗教として
厳しい評価をいただくことになる
そこで「宗教」を 文字の解析から
和解してみた
宗教=示ウ教
示=し ノ二ー
=二二ノ三
=十二の三
ウ=ワー
=話ノ
=話の
教=経
宗教=十二 の三話の経
=奈禮居天の三話の経
つまり
教典=十二 の三話の経
=奈禮居天の三話の経
つまり
お経=奈禮居天の三話
大日のらい(奈示)
清く明るく(豊)
とことん豊(居天)
ここに「儀式」は無い
ここに「押しつけ」もない
只 お経が提示されてゐるだけ
したがって「儀式」もなく
「押しつけ」もない
お経解説だけの「宗教」が必要となる
勧誘されることなく
勧誘することもなく
只 お経を解説して行くだけ
読み手の批判や拒否も 受け入れながら
只 十二話の三話を説く
「和ブログ」である
十二話の在処は 和が国典「天地之詞」
あめつち
ほしそら
やまかわ
みねたに
雲霧
室苔
人犬
上末
由王さる
遠不世与
江乃○於
奈禮居天←十二
三話
大日のらい(奈示)
清く明るく(豊)
とことん豊(居天)
七五三(七語三)
昔の七五三
大日ノライ
清く明るく
とことん和 誤訳である
国名 和(のどか)
国歌 平和の詩
由来
和=十ハノロ
=東和の二二
=東和のイへ
=東和の家
東和=東・禾・ロ
東=十ロ+小
=二ワとこ
=庭床
禾=ノ+ハ
=ム
ロ=二二
=くリ
東和=庭床ムくり
=庭床起
=庭床+起屋根の家
平和=十 ハノ・ロ ・二ーハ
=二二話の・二二・三ハ
=十二話の・ナナ・ノ三し
=十二話の・七 ・の三詩
詳解・和ブログ(結論先行)
十二話(=奈禮居天)
大日のらい(奈示)
清く明るく(豊)
とことん豊(居天)
研究当初の予定
古代の神や仏の用語を使用せず
和が国の信仰とか 祈りを探すつもりだった
しかし
「大日のらい」だけは
どうしても 排除しきれず
当初の予定は 自分勝手な思ひ込みと判断し
私説を退けることにした
結果 私説は 馬鹿げた新興宗教として
厳しい評価をいただくことになる
そこで「宗教」を 文字の解析から
和解してみた
宗教=示ウ教
示=し ノ二ー
=二二ノ三
=十二の三
ウ=ワー
=話ノ
=話の
教=経
宗教=十二 の三話の経
=奈禮居天の三話の経
つまり
教典=十二 の三話の経
=奈禮居天の三話の経
つまり
お経=奈禮居天の三話
大日のらい(奈示)
清く明るく(豊)
とことん豊(居天)
ここに「儀式」は無い
ここに「押しつけ」もない
只 お経が提示されてゐるだけ
したがって「儀式」もなく
「押しつけ」もない
お経解説だけの「宗教」が必要となる
勧誘されることなく
勧誘することもなく
只 お経を解説して行くだけ
読み手の批判や拒否も 受け入れながら
只 十二話の三話を説く
「和ブログ」である
十二話の在処は 和が国典「天地之詞」
あめつち
ほしそら
やまかわ
みねたに
雲霧
室苔
人犬
上末
由王さる
遠不世与
江乃○於
奈禮居天←十二
三話
大日のらい(奈示)
清く明るく(豊)
とことん豊(居天)
七五三(七語三)
昔の七五三
大日ノライ
清く明るく
とことん和 誤訳である
返信一覧
和ブログ 近日公開
和ブログ
主題 史実淡々
副題 和かな暮
一…十井の字のブログ
二…縦の詩のブログ
三…白字に紺の字のブログ
和=十井ノハ
=十井のしノ
=十井の字の
故に
和ブログ=十井の字のブログ
和=ロ 十ノハ
=二二テのしノ
=た テの詩の
=縦 の詩の
故に
和ブログ=縦の詩のブログ
和=しロチノ十ロ ノハ
=白 地し二二二ノしノ
=白地 に こンのじの
=白地 に 紺 の字の
=白地 に 紺 の字の
故に
和ブログ=白地に紺の字のブログ
これで『ネット和文化』完成
主題 史実淡々
副題 和かな暮
一…十井の字のブログ
二…縦の詩のブログ
三…白字に紺の字のブログ
和=十井ノハ
=十井のしノ
=十井の字の
故に
和ブログ=十井の字のブログ
和=ロ 十ノハ
=二二テのしノ
=た テの詩の
=縦 の詩の
故に
和ブログ=縦の詩のブログ
和=しロチノ十ロ ノハ
=白 地し二二二ノしノ
=白地 に こンのじの
=白地 に 紺 の字の
=白地 に 紺 の字の
故に
和ブログ=白地に紺の字のブログ
これで『ネット和文化』完成
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夜明けの知らせ
太陰暦=三五四日
太陽暦=三六五日とちょっと
したがって 太陰暦を太陽暦に直す
これを太陰太陽暦と言ふ
調べてみたら 紀元前五世紀 ギリシアで
既に 一九年に七回閏月を入れる
太陰太陽暦が出来てゐた
日本の場合
中国から百済 百済から日本と伝来
しかし 東経が長安基準のためズレがあった
このズレが八〇〇年溜まって
日食・月食が 暦通りに発生しなかった
そこで そのズレを直した
貞享和暦である
しかし 地球が太陽を回る公転面を
円形だとする認識は 間違ひで
正しい公転面は 楕円形だとわかった
だから その修正をした
天保和暦の完成だ
しかし 用心して 暦の改定には時間をかけ
弘化元年(一八四四)に実施した
世界最高の精度を持った
太陰太陽暦ができた
そして 明治維新
明治四年に
年俸制から月給制に変はった
そして明治五年の夏に 暦をみると
明治六年は 一九年に七度
おほよそ三年に一度の閏月があった
財政苦状況下の大蔵卿・大隈重信は考へた
太陽暦に切り換へてしまへば
閏月は無くなる
したがって
給与は 一月分なくなる
そして 開始を
明治五年一二月三日にしてしまへば
その月の分の給与支給もなくなる
慌てて 暦を変へてしまった
以下でわかる
和暦 西洋暦
明治五年 明治五年
一二月 支給無し(二日しか無いから)
明治六年
一月 支給
二月 支給
三月 支給
四月 支給
五月 支給
六月 支給
閏六月 支給無し(閏月がないから)
七月 支給
八月 支給
九月 支給
十月 支給
十一月 支給
十二月 支給
合計十四月分 合計十二月分
かうした理由から
明治五年十二月三日から
太陽暦が採用され
二千三百年かけて作られた
世界最高水準の和暦が棄てられた
結果
歴史を日付で 追体験できなくなり
それ以前の歴史を失ひ
糸切れ凧となり
やみくもに 欧米にすがりつき
対米絶対服従認識となり
今のペコペコ外交となった
和文化とは何か…
そこを追究しない限り
対米絶対服従から脱却できない
その対米絶対服従の旗振り役を演じてきた
フジサンケイグループが
今 怪しくなって来た
これは 歴史的にみると
和が国の 対米絶対服従の幕開けとなる
そんな夜明けの知らせとみた
太陽暦=三六五日とちょっと
したがって 太陰暦を太陽暦に直す
これを太陰太陽暦と言ふ
調べてみたら 紀元前五世紀 ギリシアで
既に 一九年に七回閏月を入れる
太陰太陽暦が出来てゐた
日本の場合
中国から百済 百済から日本と伝来
しかし 東経が長安基準のためズレがあった
このズレが八〇〇年溜まって
日食・月食が 暦通りに発生しなかった
そこで そのズレを直した
貞享和暦である
しかし 地球が太陽を回る公転面を
円形だとする認識は 間違ひで
正しい公転面は 楕円形だとわかった
だから その修正をした
天保和暦の完成だ
しかし 用心して 暦の改定には時間をかけ
弘化元年(一八四四)に実施した
世界最高の精度を持った
太陰太陽暦ができた
そして 明治維新
明治四年に
年俸制から月給制に変はった
そして明治五年の夏に 暦をみると
明治六年は 一九年に七度
おほよそ三年に一度の閏月があった
財政苦状況下の大蔵卿・大隈重信は考へた
太陽暦に切り換へてしまへば
閏月は無くなる
したがって
給与は 一月分なくなる
そして 開始を
明治五年一二月三日にしてしまへば
その月の分の給与支給もなくなる
慌てて 暦を変へてしまった
以下でわかる
和暦 西洋暦
明治五年 明治五年
一二月 支給無し(二日しか無いから)
明治六年
一月 支給
二月 支給
三月 支給
四月 支給
五月 支給
六月 支給
閏六月 支給無し(閏月がないから)
七月 支給
八月 支給
九月 支給
十月 支給
十一月 支給
十二月 支給
合計十四月分 合計十二月分
かうした理由から
明治五年十二月三日から
太陽暦が採用され
二千三百年かけて作られた
世界最高水準の和暦が棄てられた
結果
歴史を日付で 追体験できなくなり
それ以前の歴史を失ひ
糸切れ凧となり
やみくもに 欧米にすがりつき
対米絶対服従認識となり
今のペコペコ外交となった
和文化とは何か…
そこを追究しない限り
対米絶対服従から脱却できない
その対米絶対服従の旗振り役を演じてきた
フジサンケイグループが
今 怪しくなって来た
これは 歴史的にみると
和が国の 対米絶対服従の幕開けとなる
そんな夜明けの知らせとみた
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