とことん豊 とことん和

岩田修良 令和六年五月二十一日(火)十七時三十五分 百五十七通>[左頁(返信)]
草取此炉 旗揚
清明心(昔の日の丸)
 令和四年八月九日
天地之詞・旗揚
 令和四年十一月二十五日
草取此炉・旗揚
 令和六年五月二十一日
絵の下に入る詞
 これを一年半探した
一昨年は 自由語と解釈し
『わかるまで待つ塾』とした
本年は ここには
草取此炉が 最適と考へ
『草取此炉』を『色葉文字』で入れた
草を取って此炉に納める
これで豊になれると言ひ切ったのは
過疎地復興の達人・二宮尊徳
貧乏を免れんと欲せば
庭の草を取り 家屋の掃除をせよ
後世に語り継ぐべき極上の名言である
特殊な才能教育が注目される今日
それは 極上の名言を知らぬからだらう
思ひやりは 草を取り此炉に納む
この単純作業で育って行く
知識だけでは 人は育たない 

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岩田修良 令和六年五月八日(水)十八時九分 百五十六通>[左頁(返信)]
古典が異なる
薩長革命政府
 教書 五十音図
昔の日本
 教書 天地之詞

何故 革命政府軍は
平かなを嫌ひ 漢文カタカナなのか…
天地之詞が 一部かな文字であり
かな文字を字母とする
江戸までの日本文化を嫌ったからだ
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だから 革命政府は『和文』を捨てて
漢字カナ文の漢文調を貫く
異国の文化を基本とすること よくわかる
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貫之が古今の序文に書いた和文
この和文を捨てた革命政府軍
この異心暴力革命を見抜く人 甚だ少なし
ここに 今の問題がある

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岩田修良 令和六年五月八日(水)十七時五十四分 百五十五通>[左頁(返信)]
保守と革新・今の問題
異心暴力革命前には
昔の純心無垢な日の丸があった
異心暴力革命で
真っ赤な日の丸になったが
真っ赤な日の丸は
古事記では 禍津日~
歴史では  蝦夷の日の丸
佛教では  地獄の猛火
一般的には 禍の火種
つまり 異心暴力革命から今日まで
禍の火種を国旗としてゐる
だから 禍が絶ゆることなく今に続く
保守=昔の日の丸を保守すること
革新=異心暴力革命の蝦夷の日の丸を
   古来の日の丸と思ひ込むこと
今 今の日の丸を疑ふ人なく
古来の日の丸と思ひ込む
だから 異心暴力革命から今日まで
とんどもない歴史が続く
今の日の丸を 疑ふ人なし
全く思考停止 古来の日の丸と誤認
ここに 今の問題の核心がある

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岩田修良 令和六年五月七日(火)十七時三十六分 百五十四通>[左頁(返信)]
今の問題
世界にも通用することですが
日本に限定して語ります
自身の思ひとか 感情の表現
体を動かして表現する
たとへば
ダンス・スポーツ・デモ・集会の雄叫び
自分自身の心の内面の表現
さういふものを失ってゐる
ネット時代を迎へて
縦書文化が基本である日本の被害は
ものすごく大きいのではあるまいか
つまり
自身の思ひ・史観・主張は
動画や画像ではなく 縦書で行ふ
この単純な表記文化を忘れ
思ひのままに 横書で殴り書きする
この横書文化が
激しく 和文化を破壊してゐる
そこに ローマ字入力が追加
和文化崩壞の加速化である
国力の衰弱と横書文化の氾濫
これは 密接に繋がってゐると思はる

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岩田修良 令和六年五月二日(木)十五時三分 百五十三通>[左頁(返信)]
ハナサク大作戦
開戦の六日前
上海から広に向かふ中華航空機上海号が
台湾から広東に向かふ途中で山中に墜落
その搭乗員の中に
開戦作戦命令書を広東軍に
手渡す任務を持った杉坂中佐がゐた
墜落機は 反日ゲリラの活動隊ゐる地域
そこに作戦命令書が落ち 拾はれたら
ハワイ南方同時奇襲作戦は
緒戦で大敗北してしまふ
そんな重要書類が 山中に落ちてしまった
大本営は 焦った
これを『上海号事件』と言ふ
生々しい話は
作家の吉村昭が 生存者二人に
直接お会ひして聴き取ったもの
だから その時の様子かよくわかる
読始めは
小見出・ハナサク大作戦から四頁
当時の様子が よくわかります

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岩田修良 令和六年四月二十八日(日)七時五十二分 百五十二通>[左頁(返信)]
あの戦争は…
陸軍 南方作戦
海軍 真珠湾作戦
二つ合はせて ハワイ南方同時奇襲作戦
小見出・ハワイ南方同時奇襲作戦で読めます
今の政治家諸氏 今の学校の先生
今の中高生そして大学生並に学生諸君 
これから 政治家になりたい若者
これから 教師になりたい若者
いやいや 多くの老若男女
色んな方に 見ていただきたい
事実唯真といふ様に
史実を知れば知るほど
戦争はもういい こりごりだとなります
しかし 今はどうでせう また
敵国を作って 国民を煽動する人に煽られ
国民一丸となって戦争準備 そして突撃!
こんな時代になりました
何故か? 非武装平和論者の努力不足です
ーあの戦争は 何だったのかー
そこを振り返る『教材』が作れなかった
だから 国民は あの戦争を
振り返ることなく 再び戦争準備へと向かふ
非武装平和論者は その『教材』を作り
それを 国民に提示する時だと思ふ

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岩田修良 令和六年四月二十六日(金)十九時四十八分 百五十一通>[左頁(返信)]
国力は何か
国力は 貨幣価値にあり
国力は 人事力にあり
こんな話が よく出る様になった
そこで
『国力は国語である』
この立場の論文も
歴史と並行して書くことにした
現代はネット時代
よって 国語の視点は
入力打法にまで 話が及ぶ
・ローマ字入力(多くの知識人)
・携帯入力(携帯井桁入力)
・JIS日本語入力
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この他に 私塾鶴羽實が
五十音図と天地之詞から発見した
・十井文字の入力がある
本紙や掲示板は
この三打法の言語で書かれてゐる
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国力は 貨幣価値でも
軍事力でもない 国語の力である
近日中に 書き始めたい

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岩田修良 令和六年四月二十五日(木)六時十四分 百五十通>[左頁(返信)]
昭和十六年六月二十二日
ドイツがソ連侵攻
直ぐに 米英がソ連支持を表明
その時 日本は…
『即時対ソ開戦』を主張したのは
時の外相松岡洋右
海軍は強烈に反対
陸軍も反対したが
七月二日の『御前会議』で
・南進をそのまま進めるが
・場合によっては対ソ戦もある
これを受けて
七月七日 関東特別演習と名づけて
満州に
兵員・軍馬・兵器資材を大増強始まる
この大増強が ソビエトにわかると
対ソ開戦準備と 誤解され
ソ連に 奇襲先制攻撃されてしまふ
そこで 日本は 幾つか工夫した
詳細は 
小見出『陸軍の進むべき道』から全十四段
当時の実態が うっすらと見えて来ます

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岩田修良 令和六年四月二十二日(月)八時二十九分 百四十九通>[左頁(返信)]
登戸研究所
新宿・陸軍科学研究所に始まる
科学兵器の研究所
一科 電波兵器(風船爆弾も)
二科 毒物兵器(青酸ニトリール等)
三科 経済攪乱兵器

この経済攪乱兵器は 何と『偽札』
内閣印刷局・民間の印刷技術を投入して
陸軍科学研究所が 偽札を作ってゐました
運搬は 陸軍中野学校出身者
偽札散布は 上海『松機関』
兵器や偽札を作ってゐた陸軍登戸研究所
戦後その跡地に 明治大学農学部ができ
十数年前 登戸研究所資料館ができました
その資料館の論文と研究所の本の中身を
短いですが 四頁にまとめて
『大東亜戦争』に追加しました
小見出『もう一つの秘密機関』から開始

わかりやすくするために
情勢地図を随所に加へてあります
これで日中戦争の実態や あらましは掴める
その思ひを抱へながら 書きました

 

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岩田修良 令和六年四月十四日(日)八時三十五分 百四十八通>[左頁(返信)]
陸軍と海軍の野望
盧溝橋事件に始まり
中国大陸の制空権獲得までの話
零式戦闘機の開発に視点を置いて書いた
今回は その間に展開された
陸軍の野望について書いた
陸軍は 資源の少ない国は
如何にして大国に勝つか
これが 最大テーマであった
当時 出て来た答は 細菌戦だった
そのために
国内には 本部が必要だし
戦地には 実戦部隊の本部と支部が必要だ
こんな思ひから
国内と戦地に 本部が出来上がり
戦地には いくらかの支部と
多数の出先機関が出来た
細菌戦の準備である
その準備が 中国大陸を奥深く
占領して行くなかで 出来て行く
その足跡を わかりやすく書いた
どんな戦争を企図し
その戦争に どんな準備をして来たのか
その史実を追った

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