くぬぎの手紙
岩田修良 令和三年四月二十八日(水)十六時二十八分 四千二百六十五通
教誨師
さて 囚人諸氏をどう善導するか?
当時は 東西教誨師と
クリスト教教誨師の どちらかが存在した
江戸の文華が継承されてゐたら どうだったか?

いつまでも
たしなみ置けよ
以呂波歌
読む度毎に
身の徳となる

こんな歌を読み善導したに違ひない

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百六十五通
岩田修良 令和三年四月二十八日(水)十六時十九分 四千二百六十四通
教誨師
典獄・大井上輝前(おおいのうへ・てるさき)
 教誨師をクリスト教徒に変へ 囚人に野球をやらせるなど 労役だけを課す典獄とは明らかに異なったが 染まり行く天皇神格化教育の時代の波に 大井上も 呑まれて行く
 御真影=天皇の写真を 物置に入れて 看守や囚人に拝ませぬ様にしてゐるといふ「噂話」を作られ それが流布して 政府に煽動された人々の憤りをかひ 依頼退職させられた
 天皇を「神」の様に仰ぐ時代は 古代の何時あったのか あったと政府に思ひ込まされてゐる自分に気づける人は 少なかった   

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百六十四通
岩田修良 令和三年四月二十八日(水)十三時十五分 四千二百六十三通
過去の歴史に無い異様な教育
奈良…無い
平安…無い
鎌倉…無い
室町…無い
安土桃山…無い
江戸…無い
異心革命後に 突如登場した
 明治…過去にない異心教育登場!
    ご真影に敬礼!
 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百六十三通
岩田修良 令和三年四月二十八日(水)十三時十分 四千二百六十二通
異心革命の教育
明治二十三(一八九〇)年一〇月三十日
 「教育勅語」が発布された
明治二十四(一八九一)年
 その謄本と御真影を
 校内一定の場所を撰び
 最も尊重に奉置せしむべし」と訓令
 当初は職員室や講堂の金庫などに保管されたが
明治四十三年頃から 校庭に石造り 土蔵造り
 あるいは鉄筋コンクリートの「奉安殿」を建て
 大切に納められるようになった 
 神社風が主流で生徒は 登下校時には
 その前で最敬礼しなければならなかった

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百六十二通
岩田修良 令和三年四月二十八日(水)十二時二十二分 四千二百六十一通
作らされた道路
峰延街道(二一キロ)
 樺戸………峰延ーーー空知
上川道路(八八キロ)
 旭川……空知川ーーー空知
北見道路(二一七キロ)
 旭川===北見===網走
  …樺戸の囚人開削
  ー空知の囚人開削
  =網走分監の囚人開削
北見道路の状況
 栄養失調死亡者一五六名 病気一九一六名
 逃走による斬殺・銃殺三名

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百六十一通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)二十時四十八分 四千二百六十通
津田三蔵の処分
司法大臣・山田顕義は死刑を命じたが
大審院長・児島惟謙(いけん)は
     刑法に外国の皇族に対する犯罪条項が
     ないことを理由に 死刑に反対し
     単純な謀殺未遂罪として
     五月二十七日 無期徒刑を言ひ渡した
     結果→五月三十一日 釧路集治監へ
釧路集治監
 軍人 軍属 巡査などの軍事犯が多かった
十月一日 午前零時三十分 息を引き取った
それは 断食による一種の自殺であった

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百六十通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)二十時三十六分 四千二百五十九通
八日後 
午後七時すぎ 
京都府庁前で
刀で咽喉と胸部を切り自殺
千葉県生まれの畠山勇子さん 二十七歳
ニコライ殿下が負傷したまま 帰国することは
国民の一人として堪えがたく
自殺によって陳謝する旨の遺書など
十通の遺書をもってゐた
日本政府は ロシアの動きを注視してゐたが
ロシア皇帝からは 温かい心遣いに対する
謝電が寄せられ 日本側を安堵させた

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十九通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)二十時二十七分 四千二百五十八通
明治二十四年(一八九一)
五月十一日 大津事件
 ロシア皇太子・ニコライ親王は ジョージ親王でと共に 日本に来遊 一行は人力車を連ねて大津の町を通過 突然 警官・津田三蔵が サーベルを抜いて ニコライ皇太子に斬りかかる
 皇太子は 応急手当を受け 県庁へ戻って休憩後 汽車で京都へ戻り 常磐旅館で治療を受けた
 翌日 明治天皇も臨時列車で京都に向かひ 常磐旅館のニコライ殿下を見舞った また 国民も ニコライ殿下に見舞状を送り その数は一万に達した  
 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十八通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十九時四十一分 四千二百五十七通
明治二十三年 再び集治監
一時期 監獄署と名を変へてゐたが
明治二十三年七月に 再び集治監となる
空知集治監と釧路・樺戸集治監
 幌内炭山で 採炭 運搬 販売までの経営を全て任された監獄署は 採算を取ることに必死で それは過酷な労働になって 囚人たちに重くのしかかってゐた 炭山への出役によつて 二百四十一人が病死又は衰弱死 七名が射殺 斬殺されてゐた 釧路と樺戸は 主に道路開削事業に集中 在監人は 八千名にも達し その内集治監に収容出来ぬ囚人三千九百名が 仮獄舎に収容され 労役に服してゐた

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十七通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十七時二十一分 四千二百五十六通
国事犯の例
明治一七年一〇月三十一日
 秩父事件
 三千名の農民が蹶起 警察署 戸長役場を襲ひ
 悪質高利貸の家々を破壊し 銃と弾薬を手に入れ 秩父の谷あいを移動 農民の数は次第に膨れ上がり 郡役所 治安裁判所を占領 約五千の農民達は 頑なに抵抗をやめなかった
 困民党・総理田代栄助 加藤織平 新井周三郎
 高岸善吉 坂本宗作→死刑
 堀口栄次郎 宮川寅五郎 柿崎義藤
 無期徒刑→樺戸集治監へ 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十六通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十七時五分 四千二百五十五通
国事犯の例
明治一五年 群馬事件
 陰の指導者と言はれた宮部襄
 樺戸集治監に収禁
明治一七年 九月二十三日 加波山事件
 自由取義 自由之友 圧政政府転覆を
 墨書きした旗を掲げ 加波山山頂で挙兵
 富松正安 三浦文治 小針重雄 琴田岩松
 保田駒吉 杉浦吉副 死刑 絞首
 河野広体 草馬佐久馬 五十川元吉 玉水嘉一
 小松篤太郎 天野市太郎 無期徒刑
 空知集治監に収禁
  
 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十五通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十六時四十九分 四千二百五十四通
北海道の集治監
明治一四年九月三日
 樺戸集治監開設
明治一五年七月
 空知集治監開設
明治一八年一一月一〇日
 釧路集治監開設
 
 樺戸集治監大正八年に閉鎖
 それまで 常時平均一六〇〇名の囚人
 多い時には 囚人二五〇〇名に達したと言ふ
 一般の重罪人もゐたが 国事犯を主に収監 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十四通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十六時四十一分 四千二百五十三通
集治監創設理由
吉村昭『赤い人』一五〇頁

 政府が北海道に集治監を創設したのは 維新後続発した佐賀の乱 神風連の乱 萩の乱 西南戦争で捕らへた者たちを 収容する場を必要とし 「誤れる反乱の前非を悔悟せしめ」るため 北辺の地に 収禁させることが 効果的だと判断したからだ 
 北海道の集治監に送り込むことによって 反政府運動を引き起こさうと企ててゐる者たちを威嚇し 牽制させる意味もあったのである

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十三通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十二時四十二分 四千二百五十二通
樺戸集治監の話に戻る
明治一四年四月
 東京小菅村・集治監から四〇人抜粋
 樺戸の獄舎造りに選ばれた囚人
明治一四年九月三日
 樺戸集治監開設式
  地名の須倍都太が月形村に変はったのは
  三つの候補地から樺戸を選んだ月形潔の
  名前に由来する その月形が樺戸の初代
  典獄である
発案 明治一二年 内務卿・伊藤博文
  

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十二通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十二時二十八分 四千二百五十一通
母の心と国の形
母=左の母指
心=コ転の姿
その「コ転」の姿詞の意味
 野山の「母そ」の聲を吊る
 だから「つ留」の姿になってゐる

国の形
 一…野山にコナラの森
 二…東和三柢
 三…東和の城と木木炉
 四…手語…母の心
 五…手語不可の方は「東和の古典」を詩ふ

 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十一通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)十二時十五分 四千二百五十通
歌聲
歌聲は 野山の柞(ハハソ)
すなはちコナラが持ってゐたのか?
そのコナラ・ハハソを手に招く
その印が「人=コ転」ではないか
そのハハソの音色を
こちらにも下さいヨ
こちらにも鳴らして下さいヨ
といふのが ハハ=母→母指→つ留→鶴の印
つまり 自身の母指を「つ留」にして
野山の「母そ」の聲を「吊る」といふ道理

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百五十通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)九時四十四分 四千二百四十九通
コ転の印とは…
左の人指一つに出来る
姿詞=コ転
第一関節と第二関節を
キチン曲げると 
人指一つ=「コ転」の姿になる

手語の発達と考へたい
 一…鶴羽實の印
 二…コ転の印
自分の考へでは
この「コ転」が 国歌を勝手に歌ってくれる
つまり 心の歌手ですね

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十九通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)九時三十四分 四千二百四十八通
それは 貫之から定家への移行
貫之=鳥の跡の印(左・五指)
定家=コ転の印(左・人一指=コ転)
鈴木正三=(右・人親二指=ノノ)

考へ方も異なる
 貫之・定家=本心良心の姿
 正三   =悪心←心剣で截断=不生不滅

人の人生
 本心良心の発動…貫之・定家
 悪心滅却   …仏教
 心の姿も左右 異なる

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十八通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)九時二十三分 四千二百四十七通
昨日より手語が簡素になった
昨日より心印が
鳥の跡(貫之表現)から
コ転(定家表現)に変はった
実際 鳥の跡久しく留めると
サイクリングはちょっと厳しい
草取りも 左手死んでやりづらいが
人=コ転の印だと
サイクリングも
草取りも 自由に出来る
自由度の高い コ転の心印に
昨日から切り変へた

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十七通
岩田修良 令和三年四月二十七日(火)九時六分 四千二百四十六通
文華の対立から政治の対立
文華の対立
 蛮賊・夷=左の青人草・惠實詞…邪道とされる
 空海・六塵=つるばみ…邪道…邪道とされる
 貫之・花(惠實詞)心(心印)…復古
 定家・花(惠實詞)心(より簡素心印)…復古
 江戸以呂波字考録・僧全長…復古
政治の対立(これより日本文華皆無時代続く)
 賊軍の烙印    …悪人成敗
 国事犯の烙印   …悪人過酷な労役
 朝鮮人・社会主義者…悪人成敗
 アカの烙印    …悪人成敗
 反日・アカの烙印 …悪人追放

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十六通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十九時十八分 四千二百四十五通
吉村昭の怒り
『私の取材余話』より

つまり 囚人が過酷な労働で死亡すれば
それだけ監獄費用の節約になるし
さらに 囚人に 与へる労賃は安いので
「実に一挙両善の策」と述べてゐる
すさまじい囚人対策である
囚人を人間として考へることはせず
ただ 労役の具としか考へてゐない
この金子の建言は新政府に容認され
樺戸監獄に通達されたのである

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十五通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十九時八分 四千二百四十四通
金子堅太郎の結びを忘れました
宜しく囚徒を駆って
尋常工夫の堪ゆる能はざる
衝に当たらしむるべきなり

和訳
どんどん賊軍狩りをして囚人を集め
尋常でない 
つまり 堪えることが出来ない位の衝撃を
賊軍どもに体感させよ

記念すべき悪党の本性です

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十四通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十八時三十二分 四千二百四十三通
日本心学と仏教の違ひ
もう少し説教
アベスガ よーく聞け
日本心学と仏教の違ひは
こちらが清明心の発動であるのに対し
仏教は 君たちと似てゐて
悪心を見つけ それを心剣で截断する
つまり こちらは良心発動
仏教は 悪心退治である
この国は 良心発動のスイッチを開発
今は そのスイッチ・オンを忘れただけだな
したがって スイッチ・オンせば
悪人も善なる道を歩み出すわけだ

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十三通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十八時二十一分 四千二百四十二通
悪党の特徴 ちょっと説教!
良心の発動を信ずることがなく
清明心の存在も疑ふ
人間生まれながらにして悪である
さう固く信じて疑はない 何故か 
ご自身に 改心の経験がないからだ
アベスガ よーく聞け!
靖国~社のどこに 死者はゐるのだ
それを自分の頭で考へたことが
一度でもあるか
桜に住むか 柱に住むか 石に住むか
屋根に住むか 音色はあるのかないのか?
よくよく 自分の頭で考ふべし!

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十二通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十八時十三分 四千二百四十一通
悪党の一味・金子堅太郎は言ふ
彼らは元より 暴房の悪徒なれば
その苦役に耐へず斃死するも
尋常の工夫が妻子を残して骨を
山野に埋むるの惨状と異なり
また 今日の如く重罪犯人多くして
徒に国庫支出の監獄費を増加するなれば
囚徒をしてこれを必要の工事に服せしめ
これに耐へず くたびれ死して
その人員を減少するは 監獄費支出の
困難を告ぐるに於いて 止むを得ざる攻略なり
実に一挙両善の策

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十一通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十七時四十九分 四千二百四十通
悪党の考へ方・山縣有朋
うつろな目つきの悪党・ヒキガエルに
良心が無い様に 当時の悪党にも良心無し
いや 本来有るのだから
良心麻痺 もしくは良心未発動が正しい
山城屋和助事件の犯人・山縣有朋は言ふ
内務卿・山縣有朋曰く
 囚人に再び繰り返さぬ方法として
 監獄の恐ろしさを知らせる必要があり
 徹底的な懲戒主義を取る様にと県令に通達
山縣自身に改心がないから
人が改心する可能性を信ずることが出来ないのだ 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百四十通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十七時三十四分 四千二百三十九通
地図にすると…
 
樺戸集治監・月形村…一

             恵別…二
              対雁…三
         当別村…四

                札幌 伊達…五
一…国事犯収容所
二・三…樺太アイヌ移住地
四…岩手山藩六〇〇名入植
五…伊達市二六五一名入植
 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百三十九通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十七時二十五分 四千二百三十八通
賊軍の汚名・岩手山藩主伊達邦直
仙台支藩・岩手山藩 藩主伊達邦直
 一万四千石→六五石にされ
 岩出山城も召し上げられた
 政府に蝦夷地入植希望を出し
 明治五年四月に入植
 場所 札幌の北東・当別村
 戸数 一四〇
 人員 六〇〇
 樹を倒し根を起し 石を除去して耕地開拓
 その結果の農作物
  麻・大麦・小麦・大豆・小豆・粟・蕎麦
  桑も植ゑられ養蚕も行はれてゐた

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百三十八通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十七時四分 四千二百三十七通
明治二年の頃の状況
北海道開拓のために入植者を募るも
極寒の地に入植を希望するものがゐなく
困ってゐた

賊軍の汚名を着せられた亘理藩は
二万四千石→五十八石五斗に減らされた
そこで家老の田村顕充と藩主伊達邦成は
明治二年 政府に蝦夷地に入植を嘆願
 明治三年 一陣二百五十名移住開始
 明治四年 二陣七百八十八名移住
 明治十四年まで九回計二六五一名移住
 札幌の南・今の伊達市である 

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百三十七通
岩田修良 令和三年四月二十六日(月)十六時四十八分 四千二百三十六通
当時の状況
明治八年五月 樺太千島交換条約
 日本の領土…千島列島すべて
 ロシアの領土…樺太
樺太に住むアイヌ
 両国のいずれに帰属するか自由であったが
 日本政府は条約締結前に 
 北海道に移住させるべきとして
 石狩平野の恵別 対雁(ついしかり)に
 移住させた
 開拓使は 彼らに移住費・家の建築費・
 三年間の食料費を支給
 鮭漁場の資金も貸し出した

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東和の陀羅尼


 ノしノし=東和
 鶴ばみ =の
 鶴羽實 =古
 萌える =典
 つるはみ=しノ
 つるはみ=しノ
 つるばみ=しこ



しノしノしこ 令和三年五月十二日 午前十一時二分 四千二百三十六通
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