日記

本日より
幕末の年表 書き始めるつもりでゐたが
佐藤雅美著『大君通貨』を見つけたため
急遽 読み始めてしまった
吉村昭の本に慣れてしまったためか
慣れぬ文体は 非常に難しく感じた
もう少し正確に言ふと
吉村の本は 実に詳しいのでわかりやすい
もう一度読み直して
佐藤雅美の文体に慣れれば
読解できるやうになるかもしれない

明日辺りから 幕末年表を書いて行きたいが
まだてこずる可能性もある 

user.png 岩田修良 time.png 2024/12/12(Thu) 19:17 No.128
十二月十三日
やうやく年表作りが始まった
今日は 嘉永六年(一八五三)
 ペリーが浦賀にやって来た年だ
 肉付けの話は 少しづつ返信欄に付けるとして
明日は 嘉永七年(一八五四)を書く
 嘉永七年は 十一月二十六日まで
 安政元年は 十一月二十七日からだが
ほとんどの教科書から
 嘉永七年は消え
 安政元年は 架空の一月一日から始まる
 史実に存在しない暦が あったかのやうに綴られても
 何の疑義も出ない をかしい
 だから教科書は 二度目のペリー来航を
 安政元年一月十六日と記す インチキだ
 嘉永七年一月十六日と記すが 正しい
 私たちの史心は 教科書で破壊されてゐる
 史心が育つわけがない
子供たち諸君!
 これから語る「史実淡々」で
 幕末から大東亜戦争までを 大いに勉強してもらひたい
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/13(Fri) 19:50 No.135
十二月十四日
嘉永七年の年表作りの前に
どうしても気になった幕末のドルとイチブ銀の交換比率
佐藤雅美の『大君の通貨』の解読に時間をかけた
わかったこと
 イギリスが 対清外交で無法であったことの
 良心の呵責から
 これからお付き会ひする日本とは
 良心的に付き合はうとしてゐたこと
 幕末=世界各国弱肉強食は 作られたもので
 現実は 一部では さうではない部分もあったこと
 
 二度目のペリー来航時
 嘉永七年三月三日に 和親条約を結ぶわけだが
 その後 下田でドル・銀の交換比率の話題になり
 ドル=イチブ銀一枚 と決定されるが
 この決定が 金本位制の国には イカサマに見え
 日本も 西洋に遅れた国だとの劣等感も重なり
 自国の「イチブ銀」が
 世界に先駆けた「代用貨幣」であることに気づかず
 阿部老中無き後の堀田が
 ドル=イチブ銀三枚とするハリスの主張を
 ごもっともとして そのまま受け入れてしまったために
 日本経済が 大混乱したこと
 重大な史実だけに わかりやすく この史実を語り継ぎたい
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/14(Sat) 19:01 No.138
十二月十七日
和暦西暦一発変換の原本修正

 たとへば
  ①昭和元年 CTRL+W
   昭和元年(一九二六)十二月二十五日(前日十五十五年)

  ②嘉永七年 CTRL+W
   嘉永七年(一八五四)十一月二十六日(翌日安政元年)

  ③1989   CTRL+E
   平成元年(一九八九)一月八日(前日昭和六十四年)

  二十年以上も前に作った QXエヂタの和暦西暦返還マクロ
  天明元年から 改元日付に対応した
  史実を綴るに 不可欠なマクロである
  部分対応だが 幕末から現代までは 対応した
  史学科の教授は マクロ言語を使って
  どんどん色々なマクロを作るべきだと思ふ
  その内の一つの作品が
  和暦西暦マクロである(改元に対応した)   



  
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/17(Tue) 18:25 No.148
主題一覧
主題一覧の記事が見えなかったの障害を
見えるやうに直した
見え方に もう少し工夫が必要なので
少し 時間をかけて直したい
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/18(Wed) 17:42 No.149
十二月十九日
ムラビヨフ砦の撤去 
 ①老中 阿部正弘が 前年に日露交渉拒否を返書
 ②プチャーチンと川路の交渉で
  川路は 交渉は 軍事砦撤去が先で
  砦の撤去なければ交渉は 始まらないと伝へてゐる
 ③英仏・クリミア戦争参戦で ロシア敵国となり
  ペテロパブロフスク港 
  英四艦・仏三艦の英仏艦隊入港し 戦闘開始
  英 艦長プライス自決
  その後も 海兵隊を上陸させるの 英仏軍大敗

 ここでロシア 考ふ

  これ以上の戦闘は 不可能と考へ
   ・ペテロパブロフスク港を撤退
   ・これに合はせて クシュンコタンの
    ムラビヨフ砦も撤退

 その後 英九艦 仏五艦の 英仏連合艦隊が
 ペテロパブロフスク港に入港
 ロシア兵は 皆無
 英仏艦隊は アラスカへと向かった 
 
 こんな経過の中 
 ロシアが
 嘉永六年九月一日に作った 
 クシュンコタンの「ムラビヨフ砦」は 撤収された
user_com.png 岩田修良 time.png 2024/12/19(Thu) 18:30 No.151
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