令和3年12月29日
幕末の動乱
松本清張著
幕末の動乱
和タグ新聞
発行 私塾鶴羽實
郵番 四三八ー〇〇八六
住所 磐田市見付二七八六
電話 〇五三八ー三三ー〇二七三
FX 〇五三八ー三一ー五〇〇三
電信 logosアmvbドbiglobeレneスjp
編者 岩田修良
カナ ア=@ ドレス=ドット
天地之詞
天地
星空
山川
峰谷
雲霧
室苔 東夷の無爲は色葉十一の真字
人犬
魔除
…
天地
上末
天
…
山川
由王さる
天地
…
峰谷
遠不世与 和タグ新聞 コノ一とせよ
江乃和於 色の十一字の惠は 万の人々
奈禮居天 とことん豊で和かな暮
題字『本』
コノ二から
曲げられた国の歴史語る
令和三年十二月三十日
穢多非人
勘定奉行松本伊豆守は 天明六年(一七八六)二月 田沼に蝦夷地開発についての意見書を出してゐる
さて 松本伊豆守の意見書のなかで注目したいことがある それは 北海道開拓のために 諸国の特殊部落 いはゆる穢多を集めて移住させようと建策してゐることだ
まづ江戸浅草にゐた関東の穢多の総支配矢野弾左衛門を呼び出して 蝦夷地とは言はないで 部落民を連れて行って 新田開発をやる気はないかときいた
弾左衛門は この話にすぐとびついた
当時 彼が支配してゐるのは 武蔵 上野 安房 上総 下総 伊豆 相模 下野 常陸 陸奥 甲斐 駿河の部落民だが その人別高三万三千人余あるうちから 七千人ほどは移住できると答へた
しかし それだけでは 幕府の思惑に足りない 関西諸国の総支配は 京都に下村勝助がゐる あらためて弾左衛門に全国的
な支配者をやらせ その人数二十三万人もあらうが その内から七万を移住させて その統領として 弾左衛門も 蝦夷地へ行かせようといふことにした
江戸幕府の身分制度は 今からでは 想像も及ばないほど 厳しいものだった 武士の支配のために 自分たちのためにだけ 都合良く作られてゐるのは 言ふまでもない
農工商穢多非人と 人間に勝手な階級をつけ 分裂させ かつ反目さすことによって 武士階級への風当たりをやわらげ 統治をしやすくする仕組であった
この差別観は 享保の頃から厳しくなり 文化文政時代 一層 はなはだしくなっていった
農業その他の職業に就いてゐる例も あるにはあるが 大部分の職業は 死牛馬の処理とか 革細工であった 彼らは人間外の人間として扱はれ 農村からもほとんど締め出されて 小作すらなれなかったのだ
穢多の取り扱ひ
身居(みをり) 棟附帳 宗門帳は
百姓町人と別にすること
穢多部落には 穢多頭を置き
彼らの有り様を細かく書き上げること
男女七歳から必ず五寸四角の毛皮を
胸のところに吊って歩け
家の入口には 穢多とすぐわかる様に
毛皮を下げておけ
女の髪は内分けに限る
合羽や傘は雨降りでも用ゐてはならぬ
日が暮れてから道を歩いてはならぬ
道を歩く時は真ん中でなくへりを通れ
竿を使って釣りをしてはならぬ
マゲはワラでしか結んではならぬ等々
挙げて行けばキリがない こんな待遇を受けてゐた部落民がほとんどだから 田畑をやると言はれれば 行く先も聞かずに飛びつくのは当たり前だ