ニホン庭園から得た
東和の古典
 発行 私塾鶴羽實
 郵番 四三八ー〇〇八六
 住所 磐田市見付二七八六
 電話 〇五三八ー三三ー〇二七三
 FX 〇五三八ー三一ー五〇〇三
 電信 logosアmvbドbiglobeレneスjp
 編者 岩田修良
 カナ ア=@ ドレス=ドット
コロナで不安な方々に

心の父を左の親指と定め
きちんと立てて「ノ」文字を始終造作
「清く明るく偉大な心」とエンドレスで歌ふ
歌の様(対象)は「反り立つ左ノ親指」
三十分もすれば落ち着くと思ひます
是が私が発見した最新最上の「言技」です
何かの折に お試し下さい
お役に立つことあると思ひます
以下 開発した三つの言技をご紹介
開発した言技三つ
最上 心父ノ言技(左手有る方)
   歌の対象 左親指立てたボスな「ノ」
   歌 清く明るく偉大な心
上等 絵三詞の言技(左手無い方)
   歌の対象 紺色日輪 明るい絵 角丸四角
   歌 清く明るく偉大な心 夫(それ)
中等 ~の言技()
   歌の対象 東和の古典の枠
   歌 コの二和偉大
   仏 (東和の古典五十字)
解説
 当初 日本の仏とか~といふものを探索してをりましたが 仏(東和の古典五十字)と~(枠)の上位概念に 「三心」が有り その三心の奥に「三心の父」がゐた こんな結論になりました 心ノ最高位から綴りますと「心父」「三心」「~」「仏」となり 仏の上位概念に「~」がゐて 「仏」に音色はありませんでした 教典は 平安時代に流布した「天地之詞」と「色葉歌」を使用しました 研究方法は 以下に記しましたが 「かなカナ」を所有する日本人にしか出来ない解析法です 
ネット世界無き時代
 ネット世界無き時代は 色葉ハガキが無いので「三心無き時代」 この時代の最高の言技は 仏と~で 東和の古典五十字が「仏」で その字の「色枠」もしくは「額の枠」が「~」 そして「~の音色」が「コの二和偉大」 しかし 史上には この「仏」と「~」は登場してゐません したがって 私は 過去の研究者とは別の「仏」と「~」とを導いたことになります ものづくりで新しい物が生まれる様に 新しい仏とか~も 「天地之詞」や「色葉歌」から導いていいのではないか
研究方法
 文字を「かな」「カナ」「眞字」で分解し それを「天地之詞」と照合させます たとへば「~」 私は ~=いテ申すと解析 この「いテ」を「天地之詞」で探しますと「いテ」は「居天」 この「居天」を「カナ眞字」で開いて「コノ二ワ一大」と解析 よつて「~の音」を「コの二和偉大」とします また「示」を「カナかな」で開いて「ワく」として「~」を「ワく申す」と解析したため 「東和の古典」の枠(額枠)を 「コの二和偉大」と読みました 
密教ノ秘密主
秘密主=日三津主
日三=ネット色葉ハガキの「紺色日輪」「明るい絵」「角丸四角」
津主=(日三)ノ主=左指の親指立てたノ
 空海の頃は ネット色葉ハガキが存在しないので「紺色日輪」「明るい絵」「角丸四角」の音色なし しかし 今は「三心」すなはち「日三」は存するので音色有り その音色「清く明るく偉大な心」 当時は 本論で言ふ「心父」を「秘密主」とか「仏」とした 私は「仏」を「東和の古典五十字」とし 「~」を その字の枠としました
昔の仏 今の心父
昔の仏 今の心父
昔の「秘密」 今は色葉の「日三つ」
色葉の日三つは 紺色日輪 明るい絵 角丸四角
私説の仏(東和の古典) 昔に存せず
私説の~(文字の枠 額枠)も 昔に存せず
心父の言技 清く明るく偉大な心
昔の仏 日三つ無いので心印のみ
昔の仏 日三つの代はりに秘密あり
故 以下の如くに秘密に語る
只蟻ノ 人は そのまま仏なり
仏を見れば 只 蟻ノ人
以下の話
 以下の話は 三つの言技が生まれるまでの話で 多少 前述の音色と異なるところが出て来ます そんな時は 初めの三つの言技が 私が正しいと認識してゐるものだとお考へ下さい 長い話になるので 時間がある時にお読み下さい しかし これからの文化は この眞字(漢字)の解析から生まれると考へてゐます そして眞字を解析出来る日本人が 世界をリードする心の文化を構築すると考へてゐます 過去の日本文化も 極意は この文字の解析にあるので 日本文化を探求する上でも 眞字の解析は欠かせません
三心三昧
三心 紺日輪 夢の浮世絵 角丸四角
 天地 紺日輪(青空)
 之  え(夢の浮世絵)
 司  ノ四+ロ(角丸四角)
 言  トワニ 言う
三心三昧
 清く(紺日輪)
 明るく(夢の浮世絵)
 偉大なここロ(角丸四角)
偉大な心の意味
 夢の絵を実現するから偉大な心
三心三昧「必需品」
紺日輪の前身の「東和の古典五〇字」
浮世絵の前身の「東和の古典の紙」
額入「東和の古典」もしくは
壁に貼った「東和の古典」 字体は明朝
 色葉「浮世絵夢日記」(三心の在所)
心の在処
三心とは
 紺日輪
 夢の絵
 角丸四角(夢の絵の器)
三心の在所
 色葉「浮世絵夢日記」
三心の前身
 東和の古典五〇字
三心の音色
 清く(紺日輪)
 明るく(夢の浮世絵)
 偉大な心(角丸四角)
三心三昧の利用 病の脱却
一 只今軽い痛風発作(三月二五日)
二 健康万歳の絵を入れる
三 夢をかなへる「三心の歌」を歌ふ
四 三心三昧で病の回復を待つ
 三心三昧=清く明るく偉大な心
 清く=紺日輪
 明るく=夢の浮世絵
 偉大な心=角丸四角
 
三心三昧の利用 夢の建物
一 将来の塾の夢の浮世絵
二 夢をかなへる「三心の歌」を歌ふ
四 三心三昧で夢の実現を待つ
 三心三昧=清く明るく偉大な心
 清く=紺日輪
 明るく=夢の浮世絵
 偉大な心=角丸四角
 
清明心
清らかな心=紺日輪
明るい心 =明るい浮世絵
心    =夢を実現させる器
     =角丸四角
清明心
 清く(紺日輪)
 明るく(夢の浮世絵)
 偉大な心(夢を実現させる心)
以下の話
 以下の色葉ハガキは 「三心三昧」に辿り着くまでの話 長く続きますが 仮説ながら心の本体を掴むには それ相応の長い月日を要した事 複雑な思考が必要である事 その程度のご理解はいただきたいと思ひます 私は 夢を実現する偉大な心(角丸四角)を 「ここロ」と表現出来た時 ひょっとしたら 自説は正解かもしれない 自説の「清明心」は ホントかもしれない そんな気持ちが湧いて来ました この「清明心」によつて夢がかなふならば 上司の顔色伺って生きる生活を捨てて 好きな商売 事業をやって 裕福に暮らさうとする若者が激増する筈です
心の姿と心の音色
一 角丸四角の夢の絵を「紺色日輪」に入れる
二 夢かなへる歌を歌ふ
  夢かなへる歌=あめつちのことば
三 音色の姿 その一
  ツーンと耳なる音色
四 音色の姿 その二
  夢の浮世絵の器=「角丸四角
五 「角丸四角」の本称
  ここロ=ここ(角丸)ロ(四角)
六 心の歌
  あめつちのことば
心の利用 病の脱却
一 健康回復の「夢の絵」を紺色日輪に入れる
二 夢をかなへる「心の歌」を歌ふ
三 心歌を歌ひながら 夢の実現をじっと待つ
 心歌=あめつちのことば
心の利用 夢の実現
一 「夢の絵」を紺色日輪に入れる
二 夢をかなへる「心の歌」を歌ふ
三 心歌を歌ひながら 夢の実現をじっと待つ
 心歌=あめつちのことば
 こんな合宿所備へた「夢の私塾」を作りたいので その「夢の絵」を紺色日輪に入れて 心歌「あめつちのことば」を歌ってじっと待つ
夢の実現「必需品」
紺色日輪の前身=東和の古典五十字
夢の絵の前身 =東和の古典の紙
色葉「浮世絵夢日記」
日本心学は 往生心
 「日本の心」が なかなか解明されないのは 「心の本心」が「萬物の往生心」であるからです つまり 亡き人々が どこに帰るのか その辿り着く処を「心の本心」としてゐます 一方 西洋の心理学は 私たちの大脳の心意識を探索してゐるので 非常にわかりやすい反面 日本と比べて薄っぺらいものとなります 本論では「本心良心」を「~」 本心良心の一歩手前の「心」を「仏」と表現してゐます そして 一歩手前の「心」を「本心良心」に格上げする言語を「言技」と呼称してゐます 
日本の心 三体
心理学的表現
 本心=色葉ハガキの古都の紺色日輪
 前心=東和の古典五〇字
 言技=清く明るく偉大な心 夫(それ)

宗教的表現
 ~=本心=色葉ハガキの古都の紺色日輪
 仏=前心=東和の古典五〇字
 言技=清く明るく偉大な心 夫(それ)
言技の意味
清く  =紺色爽やか
明るく =赤流苦
    =赤(垢)も苦も流る
偉大な心=「一大」な「ごころ」
    =「一六」な「語転」
    =きよくあかるくいだいなこころそれ
 途中「偉大な心」を「何事も許す心」と推定してゐましたが 今は「清く明るく偉大な心 夫(それ)」を言ひ続けて 文字で立ち往生する「諸仏」を 爽やかな「~」に言導(ゆうどう)することだと考ふる様になりました 
事業は言技で成功す
「事業」を 古人は 「ことわざ」と訓じた
「言技」で「事業」が 成功するからだらう
令和二年三月 私塾鶴羽實は
自身で 史上にない「言技」を開発した
只今 塾生十数名の超弱小私塾
この「言技」で「事業(ことわざ)」を成功させ
「自営」を夢見る若者に 夢を与へたい
才能が無くても 学歴無くても
「言技」で「事業(ことわざ)」は成功する
そんな足跡を この世に遺して置きたい
自営こそ最高の職業 自営業 万歳
かう 叫ぶ事が出来る日を 夢見て
宗教的表現が望ましい理由
 心の旅の主人公は あくまでも亡くなった方々 よつて宗教的表現が望ましいのですが この表現を使用すると 即座に そこらの新興宗教と誤解されます そこで心理学的表現に切り換へます さうすると どうしても心の旅の主人公が 現在の自分となってしまひます やはり 亡くなった方々を旅の主人公にするには 「仏」とか「~」といふ用語を使用するのが自然です どうぞ 本論を そこらのへんてこな新興宗教と 即座に決めつけることなく 「往生心理学」としてお読み下さい 
私作の「仏」と「~」を開発
 史上に登場した「仏」と「~」が本物ならば 既に この世に平和は訪れてゐる筈 よつて人類は 史上に登場してゐない「仏」と「~」とを 新たに創作する必要があるのではないか そこで開発された「仏」が「東和の古典五〇字」「~」は「清く明るく偉大な心」といふ音を持つネットハガキの「紺色日輪」 ところが「仏」に聲無し よつて「仏」に留まる萬物を 「紺色日輪」に 人聲で諡(おく)る必要あり その音色が「清く明るく偉大な心 夫(それ)」 つまり この一六聲は 仏を~に導く聲 こんな「仏」と
「~」と「言技」を開発しました
既成のものに満足出来ない
 得体の知れない「仏」 実体のない「~」 今まで「仏」や「~」は 明確に定義されて来ませんでした 人類の混乱は ここに有る様に思へてなりません また 定義したところで 新しく創作した「仏」や「~」が 本物であるか その真偽判定が 直ぐには出来ません しかし「本物は 後世に残って偉力を発揮する」 この立場を採ると 本物は偉力を発揮しながら 後世に残って行くと考へられます ならば 多くの方々が 「天地之詞」や「色葉歌」等の古典から 今までにない「仏」と「~」とを創作し 何が偉力を
発揮して残って行くか 観察する必要あり
仏と~の自由な創作
 「仏」と「~」は 新薬を作る様に 本来 自由に創作出来る筈であるのに 多くの人々は 立ち止まり 史上にない「仏」と「~」とを 新しく創作しようとしません 多分 亡き人がどこに住むかを 真剣に考へるのが怖いか わかる筈がないと決めつけてゐるのでせう しかし 萬物が どこかで立ち止まり そこで立ち往生してゐたら どうでせう 人々が 往生の道を発見し 途中で立ち往生してゐる萬物を 救済してあげる以外に 萬物を救ふ手段はありません 自身の新作の「仏」は 「東和の古典五〇字」で 立ち
往生してゐるといふものでした
既成のお墓と仏壇に満足出来ない方は
 中には 既成の「お墓」と「仏壇」で十分といふ人もゐるでせう しかし 同時に 私の様に 既成の「お墓」と「仏壇」に 満足出来ない方もゐませう そんな方は 新作の「仏」と「~」の定義を ご一読下さい もし 気に入ったら ご利用下さい 私作の「仏」は ビッグバン以前の国を「日の本の国」と定め そこをネット色葉ハガキの世界とし その世界の色葉文字 黄葉古都 笑士双葉が 「東和の古典五〇字」に進化したのですが 眞の往生出来ずに立ち往生 そこで人は「清く明るく偉大な心 それ」と歌ひ
萬物を「紺色日輪」に往生させるといふもの
公表の時機を早めました
 塾生には もう少し 研究してから公表しようとしてゐた新作の「仏」と「~」ですが 早めて公表しました それは 隣の袋井にも感染者が出る可能性が出て来たからです そこで 塾生諸君に かかる かからないは運命で 自力では防げない どちらの運命か じっと様子を見て自分の運命を見届けるしかない といふ宿命論 もう一つが私作の「仏」と「~」の話 但し これはあくまでも 私の往生論であって押し付けるものではないと前置きして 「仏」を「~」におくる音色の「清く明るく偉大な心 夫(それ)」
を 本日 塾生とご家庭に 紹介しました
親と指導者は 威風堂々たれ
 空襲の中 防空壕に逃げのびて じっと空襲が終はるのを待つ 怯える子供たちをどうするか 「ここは落ちない」 「ここは大丈夫」 さう言って 大人たちが威風堂々とした立居振舞を子供たちに見せ 子供たちを安心させることが先決である これが大人たちの仕事であるのに いたづらに恐怖を煽り 大人達が右往左往して 子供たちを動揺させてゐる 何故か 任せて安心といふものが無いからではないか 幸ひ私塾鶴羽實には 試作の「仏」と「~」と「言技」がある 本物かどうかはわからぬが 私には揺るぎない
安心感がある だから 塾生も落ち着いてゐる
試作の「仏」の作り方
題は少し 大きく
字面と順番は 絶対厳守
文字は 明朝体
印字は黒色 紙は無地
手書き ワープロ どちらでも
額に納めて 飾るか
ハガキ大のものを壁に貼るか
解説
 東和の古典 =色葉文字の進化形体
 五王(五つ)=黄葉古都の進化形体
 六王(締め)=笑士双葉の進化形体
試作の「仏」の無料配布開始
理想科学工業のご協力を得て
試作の「仏」を「三千体」ご用意致しました
玄関の中央の棚の上にあります
年中無休二四時間 無料配布実施中
私塾鶴羽實の玄関を開け
ご自由にハガキ大の「仏」を お持ち帰り下さい
ウィルスを寄せ付けぬ偉力を持つ
その位の力はある「詞」として開発しました
「仏」なら それ位の力を所有して当然
しかし その効力は もちろん 不明
家の壁に貼って ご利用下さい
色葉「浮世絵 夢日記」
一 家族励まし合ひの通信物
二 少数の友人との通信物
三 病の人への応援通信物
四 世に警鐘を鳴らすコラム通信
五 闘病日記
六 子供たちに書かせる夢日記
 私塾鶴羽實は 六つ目の「子供たちの夢日記」として利用 ご利用希望者は その旨を以下の見本の日記にお書き下さい 即日一切無料でご利用出来ます
見本 色葉「浮世絵 夢日記」
日本の心
「日本の心」は 何なのか
「天地之詞」と「色葉歌」から探索
辿り着いた世界が 「ネット色葉ハガキ」
ここをビッグバン以前の「日の本の国」と定め
古都の大きな「紺色日輪」を「日本の心」とした
 本心は 雲一つない爽やかな世界で
 角は無く 丸い形をしてゐる
 ここは空ではなく「常飛湯高」な「情熱心泉」
 音色を「清く明るく偉大な心」と定めた
 それは「禮和」から導かれた音色であった

 令和二年三月一〇日
力をも入れずして天地を動かし
 今から三十年前頃 古今和歌集の序文の中に「力をも入れずして 天地を動かし」といふ貫之の文言に出会す 江戸末期にも「天地の 動く調べを 訪ぬれば 心の奥の峰の松風」とあり 平安から江戸末期までの先人たちが 「力をも入れずして 天地を動かす」歌に 人生を託してゐたことに気づく 私が古代を訪ね歩いて得た「歌の音色」と 「歌の様」は 貫之や定家たちとは異なれど 何気に歌ふ心の歌が「天地に響む」といふ認識は同じである 心歌の是非は さて置き この様な心歌を探り出す以外に 此の世
の混乱の打開策はないと考へてゐる
清く明るく偉大な心を発見
色葉歌から探り当てた「ネット色葉ハガキ」
その「古都」に「紺色の日輪」
この「大日」を「清明心」とし
「心の本性」としました
心の状態は「常飛湯高(とことんゆたか)」
夢の絵を入れれば 即 絵は煙り 天に昇る
すると 天すなはち お日様は 絵の恵を返す
他方 心の音色は「清く明るく偉大な心
自身の心を 本心の音色に染めれば
自身の心も 日増しに本心良心へと成長す

 令和二年三月五日
三月より 塾生に義務づけた「心の絵日記」
塾生は 毎日 色葉「心の絵日記」を書く
「清き明き直き心」を育むためである


見本 色葉「心の絵日記」


 青々と茂る色葉で綴る=清き明き心
 色葉を縦に直ぐに流す=直き心
私塾鶴羽實とは
 磐田南進学専門塾として始めて二十二年 ここ数年 従来の授業が成立せぬ生徒諸君の入塾で 四苦八苦 単なる補習塾になりかかり 生徒諸君の学力向上を 一時期 本気で諦めかけてをりましたが 生徒諸君をトコトン伸ばす技法をようやく開発して 再び磐田南進学専門塾としました
 生徒を伸ばす技法
一 ご家庭に額入「東和の古典」無料進呈
二 生徒は「夢の絵手紙」を毎日綴る
三 宿題は「基本英文集の暗誦」が柱
四 通常授業は 常飛独習
五 志望校は本人に任すも磐田南が原則
私塾鶴羽實 入塾ご希望の方は 



詳しくは 
〇五三八ー三三ー〇二七三
私塾鶴羽實まで

 絵は将来のイメージです
以下は 解説
「紺色日輪」の前身=東和の古典五〇字
「日輪浮世絵」前身=東和の古典の紙々
 「東和の古典五〇字」は 庭にdの森と庭床 隣りに檪の森と此炉を設置した「ニホン庭園」から生まれ この五〇字と五〇字の紙々が 紺色日輪と日輪浮世絵へと深化発展して行く過程を 以下のハガキで解説してゐます かな文字が漢字から生まれてゐるといふ妄説を信じて疑はぬ方々 この国の祖国を「夷」以外に設定する方々には 難解ですが 何の偏見も持たぬ方には 容易かもしれません 
「天地之詞」から発見
「大日」とも「清明心」とも呼ばれた心
「日の本」の「紺色日輪」と定め その音色を
「清く明るく偉大な心」と定めました
解読は「天地之詞」の最終行「奈禮居天」
 奈=大二小=大日
 豊=きよくあか流く一大
 示=ナこ転
 居=とワに
 天=一大=言おう

 令和二年三月五日
心の利用法 その一
心は「ごころ」
「ごころ」は「語転」
心は「語転」で変化する
日の本 大日「清く明くるく偉大な心」
「清く明るく偉大な心」の「語転」で
「心」は「清く明るく偉大な心」に変化する

永遠に言おう
清く明るく偉大な心

令和二年三月五日
心の利用法 その二
「大日」を「常飛湯高な心」と規定
「常飛湯高」とは 常識飛越えた温度の高さ
さて この「偉大な心」に「望みの絵」を入れる
「絵」は たちまち「湯煙り」上げて燃え
「天」の「お日様」に届く
「お日様」は 絵を解読し 合点承知
作者に 「絵」の望みを与ふ

 常飛湯高=とことんゆたか

令和二年三月五日
諺を理解する
諺=古都輪座
 =古都の「輪」に座す
 =古都の「大日」に暮らす
 =古都の「大日の音」に暮らす
 =「清く明るく偉大な心」
 =「言技」
理解
 「清く明るく偉大な心」の音色に暮らす
 それは 自身の心が「古都の輪に座す」こと
 すなはち「言技」で「古都輪座」する
東和の古典
東和の古=東和の「十ワ」
    =東和の「父輪」
    =東和の「(心の)父輪」
典=「し小ノ一一曲」
 =「七の二曲」
 =「清く明るく」「偉大な心」
故に
東和の古典=東和の父輪「七の二曲」
「天然温泉」に湧く「未来の絵」
 家に「日都」すなはち「東和ノ古典五〇字」を置く 額入「東和の古典」なら一つ二つ 壁貼「東和の古典」なら 壁に数多貼る ここで「常飛湯高」と歌へば常飛豊になる それが二月の末の結論 ところが 三月一日には 「日都」は 常飛湯高な「天然温泉」となり 「東和の古典の紙々」は その天然温泉に湧く湯煙りの「未来の絵」となつた  未来の絵の恵は その「絵の通り」である よつて 家に額入「日都」を置き ネットハガキで 「未来の絵」を綴る 歌聲はない これで 物心共に常飛豊な暮らしが
出来る これが私の辿り着いた「裕福論」
「湯」に湧く「絵」の行方
常飛湯高=常識飛越えた温度の高さ

「常飛湯高」な「心の温泉」に
「望みの絵」を入れると
即「絵」は「湯煙り」となって消え
「天」すなはち「お日様」に辿り着く
絵手紙受け取った「お日様」は 合点承知
「絵の恵」を「絵の作者」に届ける
こんな「お日様」との「絵手紙」のやりとりが
見えて来た

令和二年三月四日
「天地之詞」の最終形体
天地星空
山川峰谷
雲霧室苔
人犬
上末
湯和猿
を不世よ
江乃○於
奈禮居天

令和二年三月四日
「天地之詞」の最終和訳
天地星空
山川峰谷
雲霧室苔
人犬 日都(人)=古都之紺の大の輪
上末 紙(上) =湯の絵
湯和猿 湯の絵は「天」に消える
を不世よ を人に知らせよ
江乃○於 絵の恵は 絵の通り
     又 絵の世は聲なし
奈禮居天 「東和の古典」と「大日の絵」で
物と心の豊かな暮らしを得る
「天地之詞」の離合形体
天地星空
山川峰谷
雲霧室苔
人犬 日都=こトノこンノ大ノハ
上末 紙=ユーへ=湯の絵
湯和猿 湯ノへワ末詞「天」に気絵流
を不世よ 不世=人ニ しラセ
江乃○於 江ノ目ぐ3輪 へノトヲリ
奈禮居天 ト折ハノこ転ト大ニ小ノエデ
モノトこ転ノ豊ナく等しヲエル
塾生も毎日「夢の絵手紙」を書く
私塾鶴羽實の塾生には 兎に角 書け
岩田が開発した「夢の絵手紙」
お日様が届けてくれるといふ「絵の恵」
塾に在籍する間は
岩田が発見した「天地之詞」を受け入れて
素直に書いて行け
結果「絵の恵」を受けることナシ
こんな結果が出るかもしれない
そんな時は 俺を恨めばいいが 恨む奴はゐない
夢ある日々 湧く湧くする日々で楽しかった
そんな言葉が返って来るのではないか
「俺の夢」
俺の夢は 是
合宿出来る「塾」だ
毎週土曜日は 合宿
日曜は サイクリング
部活に行く奴は ここから行けばいい
サイクリングに行く奴だけ連れて行く
場所は 森町とか 天竜とか 山方面
夕方には帰る
帰って来たら 俺は 塾の囲炉裏で一杯始める
生徒は 皆 家に帰ってゐる
そこで 静かに一杯を楽しむ 最高だね
そんな夢を 俺は この絵に乗せてゐる
ネット販売始めました
ご自身で作られた方が
金額的には お安く出来ますが
開発者の手が入った物がいい
そんな縁を大切にされる方のために
ネット販売することにしました
サイズは ハガキサイズ 高級額縁に納めました
代金は 原価額縁送料税込代金千八百七十円に
語飛躍縁(五百円)を上乗せした料金
ご希望の方は
 電話〇五三八ー三三ー〇二七三
 私塾鶴羽實 塾長 岩田修良まで
 お支払は 品物到着後同封の払込用紙にて
 
まへがき
 昔のご神木を 開いて「日ハ木ノ王」と綴る「d」に定めて 庭にdの森と庭床 隣に葉狩り檪の森と 草を納むる此炉を設置して 是を「ニホン庭園」と名づけ 神木往生を 長年訪ね歩いて来ましたら 東和の「言技」と 東和の「仏」と 東和の「~々」を 発見するに至りました 東和とは 東の和が国すなはち「夷」でありますから 私が発見したのは 夷の「言技」 夷の「仏」 夷の「~々」といふことになります その「言技」と「仏」と「~々」をこれからご紹介致しますが 一つだけ前置きしてから力強く語ることにしますので
 ご了承下さい
前置き
 私説の「言技」と「仏」と「~々」の定義を これから遠慮無く語りますが 戯言棄却執行猶予を一年下さい 一年経って 私論の「言技」と「仏」と「~々」のご利益無き場合は 一切戯言と決めつけていただいて結構ですし 私もHPに謝罪文をしばらく掲載した後 HPを閉鎖致します 「天地之詞」の論証だけで 検証無く堂々と語るのは これより定義する「言技」と「仏」と「~々」が 予想通り 正解だった場合 心苦 病苦 貧苦のどん底に苦しむ方々を 一年早く救ふことが出来るからです また その手応へが 私の中に あるからです
東和の「言技」




古都の青空=常飛湯高

 常飛湯高=とことんゆたか
 肉眼の青空ではなく 日の本の青空
 日の本はネットハガキの国
 
心は「ごころ」
心は「ごころ」
「ごころ」は「語転」
それ故 心は「語転」で変化する
清く明るい「語転」に 清明心
清く明るい「語転」は 古都の青空「常飛湯高」
心は「語転」で変化する
試しに心が 暗い時
清く明るい語転に暮らしなば
心は 清く明るく成り行くヨ
心は語転で変化する
心は「語転」
心は「語転」で変化する
青々茂る「古都の葉語」 縦に転がすその語転
清き語転に 清らか心
縦の語転に 直ぐなる心
横の語転は 外道の心
心は「語転」で変化する
横道ライン 百害有って一利無し
青々茂る「古都の葉語」 縦に転がすその語転
清き語転に 清らか心
縦の語転に 素直な心
語転乱れて心は乱れ 心乱れて世も乱る
 
二つの言技
東和の言技
 古都の青空=常飛湯高
 
日の本 笑士の古都葉座(ネット時代)
 青葉語転=清き心
 縦の語転=素直な心

 二つの「ことわざ」忘れて 心乱れて世も乱る   
「日の本」と「日の都」


右の色葉ネットハガキ
 日の本の国(ビッグバン以前の国)


左の「東和の古典五〇字」
 日の都=日都
東和の「仏」

仏=ムと人偏
ム=し 小ノ
 =七の
人偏=ひと
  =日都
仏=七の日都
 
東和の「ほ」と「け」



け=「十」和「ノ」「し」
ほ=「小ノ」「ご」「○」「じ」
「ほ」と「け」=東和の七の五十字
「仏」が「古都の青空」に帰り大空三昧



「日の本」が「七の日都」になり
すなはち「仏」になって「古都の青空」に帰る

萬物 古都の青空で「常飛湯高」の大空三昧
言技で萬物を「青空」から「紙」に送る


人の言技
 常飛湯高
言技の役割
 「古都の青空に住む萬物」を「紙々」に送る
雷~
雷=雨田
 =あまた
 =数多
 =数多くの
雷=かみなり
 =紙鳴
雷=数多くの紙鳴

萬物の往方
 日の本 仏(日都) 古都の青空 紙鳴往生
古都輪座といふ古都技




古都輪座
 常時 耳を澄まして ツーン音聞く

静かに耳を澄まして ツーン聞く
それは 心が「古都の青空」に住んでゐること

「古都の青空」に住みながら言技三昧

言技
 ツン音聞きながら
 つまり 心を「古都の青空」に常時住ませて
 「常飛湯高」の言技三昧
 すると 古都の青空で大空三昧に暮らす萬物が
 「東和の古典」の「紙々」に降りて来て
 「紙鳴様」となる
 「紙語」すなはち「紙鳴様」の惠が
 常飛湯高(常識飛越えた温厚)
 常飛豊(常識飛越えた豊な暮らし)


私塾鶴羽實の実験
只今 玄関に約五百枚 教室に一千枚程度の
ハガキ大の「東和の古典五〇字」を貼る
私論正しければ
耳を澄まして一度「常飛湯高」と歌へば
「古都の青空」から
一千五百の萬物 舞降り 紙鳴様となる
一〇回で一万五千
一〇〇回で一五万の紙鳴様が誕生する
この「紙鳴様」の惠が
常飛湯高(常識飛越えた温厚)
常飛豊(常識飛越えた豊な暮らし)

不眠症等心苦に悩む方々
ハガキ大の紙と額縁を購入
ワープロもしくは手書きで「東和の古典」作成
字面配置絶対厳守 字体明朝体
額入「東和の古典」を家のどこかに飾る

「古都の青空」心理療法開始
一 シーン つーんといふ音を常時聞く
二 つん音聞く暮らし=古都の青空に住むと解釈
三 二 三日で 心の恢復の手応へ有り
四 手応へ得た後 言技「常飛湯高」の実践に入る
 
社会不安に悩む方々
ハガキ大の紙と額縁を購入
ワープロもしくは手書きで「東和の古典」作成
字面配置絶対厳守 字体明朝体
額入「東和の古典」を家のどこかに飾る

「古都の青空」心理療法開始
一 シーン つーんといふ音を常時聞く
二 つん音聞く暮らし=古都の青空に住むと解釈
三 二 三日で 安心の手応へ有り
四 言技「常飛湯高」の実践に入る
 
参考資料
古都の青空=ネットハガキの丸窓青空
古都輪座 =ツン音常時聞く技
ツーン音 =古都の丸窓青空の音色
言技   =常飛湯高
仏    =東和の古典五〇字
~    =東和の古典五〇字の紙鳴

 以下の「まへがき」以降の話は 右記の事が発見されてゐない時点の話です 私論がどの様に開発されたか その足跡を綴ってゐます 興味ある方は 参考資料としてお読み下さい


まへがき
 「東和の古典」とは 「東の和が国の古典」すなはち「夷の古典」といふ意味で 「六王」は「六」を開いて「リく王」で「陸王」 字面から見ますと 全て陸の王者に見えますが 一つ「離苦王」の「笑士」がをり 陸王五つに 離苦王一つ 合はせて「六王」 さて「六王の曲」ですが 是は全て「ノシノシコノコエ」 ところが 聲の持主は六体 そこで 空海が「萬法一切悉く言文なり」と言ふ様に 六体の聲を「和字の王」へと格上げしました したがって 上記和字六体は これより語る六つの「往聲」の六つの「和字の王」とお考へ下さい 今風に言ひますと
六つの「和字らの仏さま」と言へます
一の和王
主に天竜川以西に自生する「d」
開いて「日ハ木ノ王」
直して「庭木の王」
後生往聲の始まりである

山のdの和の王聲 ノしノし 木の聲

 
二の和王 




庭のdの王聲 ノしノし この聲

こ=風=二和=庭
三の和王
隣の葉狩りの檪



檪の王聲 ノしノし 木ノ聲

ノし=幹と枝の姿詞
四の和王
葉狩りの落ち葉は 
常飛(トコトン)湯煙り高く舞ひ上がり
遂に
ビッグバン以前の「日の本の国の色葉」となるも
やがて 青葉は散り 寝る王の「笑士」となる

笑士の王聲 ノしノし こノ子へ

ノしノし=頭の「○」の輪郭ノ姿詞
こノ=「眉」「鼻」の姿詞
子へ=眉子口へ=子へ(略字)
 
落ち葉の音色で祖国に帰る葉っぱたち
落ち葉の音色は 常飛湯高(とことんゆたか)
常飛湯高
「湯」煙り「高」く昇って「青空」に辿り着く
是は常識
「常飛」は「常識飛越」の略語なれば
落ち葉は 常識飛越 
ビッグバン以前の「日の本の国」
なんと 「ネット色葉ハガキの色葉」に辿り着く
そして やがて「色葉」は 散り
常飛湯高(おんこう)な離苦王笑士に帰る
以下 色葉歌にて証明
日の本の国の色葉歌 一句
色葉「にほへ」と散り寝るを
色葉「へ三しのこへ」と散り寝るを「ー」
色葉「笑士の聲」と散り 寝る王

笑士の往生 ノしノし こノ子へ
日の本の国の色葉歌 二句
わかよたれそつねならむ
はが余 誰?租 常鳴無
「葉が余」 誰?「租」 常に鳴ら無い

 はてさて「色葉の私」の「生みの親」は 誰でしたっけ? それは「檪の落ち葉」でした 「常飛湯高」な音色に乗って 文字通り常識飛越 日の本の国の「色葉」になりました しかし その「葉が余」の私も散って 今は「笑士」の「ノしノしこノ子へ」となったので もう その音色は常に鳴りません
日の本の国の色葉歌 三句
うゐのおくやまけふこえて
有為「乃」奥や「末」「京」語得て
有為「フカ3鳥」奥や「木ト」「キーロ」語得て
有為「深緑」奥や「古都」「黄色語」得て
日の本の国の色葉歌 四句
浅き「夢見路」  詠もせず
浅き「いめみじ」 詠もせず
浅き「一芽三じ」 詠もせず
浅き「1芽三字」 詠もせず

結論
日の本の国
笑士の王聲のみ ノしノし こノ子へ
 
五王の前奏 草の正体
日の本の国王「笑士」又の名を「青人草」
日の本の国から飛び出ると
青々茂る草となる
だから 古代の夷人(いじん)は
「草々」を「青人草」と呼び 尊び
その「ヒ止火戸」を納める「此炉」を作り
そこに「日の本の国王」の「笑士」を納めた
だから 夷人は「日ノオオ」を集めて
「草」と言ふ字を作った
今 草は毒殺されてゐる
何の罪悪感もなく毒殺されてゐる
日の本の笑士を救へ 日の本の民
五の和王 
心は こころ
こころは 此炉
此炉は ヒ止火戸
ところで
心は へ三し
へ三しは えみし
えみしは 笑士
笑士は 日の本国王「ノしノしこノ子へ」

その○王の王聲 ノしノし 小ノ小へ
六王の前奏 此炉の和訳
ココロはロココ
ロココは炉此
炉此は「ニハトコノ八寝のこへ」
炉此は「庭床の屋根の聲」
よつて 「心の旅」は
「此炉」から「庭床の屋根の聲」に飛ぶ
六王
「庭床」の「屋根」
「にはとこ」の「八音」
にはとこ=ノしノしこノこへ○
和(ノしノしこノこへ)
  のしのし このこえ
和=木へナし
 =こへなし=聲無

六王の聲無往生 のしのし このこえ
一話の往生論
 山のd(往聲開始)
一王 ノしノし木の聲(王聲往生)
 庭のd(往聲)
二王 ノしノしこの聲(王聲往生)
 隣の檪  葉狩りの檪(往聲)
三王 ノしノし木ノ聲(王聲往生)
 ネット色葉ハガキの笑士(往聲)
四王 ノしノしこの子へ(王聲往生)
 此炉の個々炉(聲無往生)
五王 ノしノし小ノ小へ(王聲往生)
 庭床屋根(往聲)
六王 のしのしこのこえ(和王の聲無往生)
第二話 まへがき
 「六王」を この世に登場させてから「天地之詞」を読み返しますと この「六王」を そのまま利用して語る「天地之詞」に出会すことが出来ます 色葉歌は ネットハガキが無い時代とある時代の二つに分けて語ります ネットハガキの無い時代の和訳は 「アテルイ」と「ものの夫」を使つて簡単に和訳出来ますが 今に「東和の古典」が残ってゐないので 「五王の表記」に誤りがあったか 或いは 題名の「東和の古典」が導けなかった このどちらかの誤りで 世の中は 貧心病苦に萎えむ世界になったと思はれます よつて世界の混乱は
 日本人の知的怠惰にあつたと思はれます
天地之詞の字体
天地
星空
山川
峰谷
雲霧
室苔
人犬
上末
ゆわざる
を不世よ
江乃○於
奈禮居天
人犬 上末
人=眉の姿詞
犬=ト折ハノこ転
 =東和の古典
上=テ
 =天=太陽
末=六オー
 =六王
和訳
 眉の本性は「東和の古典」
 天の本性は「六王」
ゆわざるを不世よ
ゆわざるを=言わざるを
不=人二
 =人に
世=しラセ
与=よ

和訳
 東和の古典と六王が揃ふと「言技」も
 「言わざる詞」になるを人にしらせよ
 
江乃○於
江乃○於=「シ後の世」は「於」
   於=へ身しノいメ身流(一度)
    =ト折ワし小ノじ(二度)
    =笑士の夢見る「東和の七の字」
和訳
 「シ後の世」は 笑士の夢見る「東和の七の字」
笑士が夢見る「東和の七字」
萬物 常飛 高く昇って 
ビッグバン以前の「日の本の色葉」に帰り
「色葉」散りて後 散り寝る王となり
そこで 笑士が夢見る「東和の七の字」となるか
奈禮
奈=ト折ハノこ転ト六オー
 =東和の古典と六王
示=いへ二ヲく蛇ケデ
 =ト小とン
禮=豊デ
 =清く明るく偉大

奈禮の和訳
 「東和の古典」と「六王」
 家に置くだけで
 とことん 豊で 清く明るく偉大
奈禮居天の和訳
居=ナく等しヲ
天=へ流コト鍬
 =得ること可

奈禮居天の和訳
 東和の古典と六王
 家に置くだけで
 とことん豊で
 清く明るく偉大な暮らしを
 得ること可
 
奈禮居天 作者用の和訳
 奈=津くリ寝しハ
 豊=きよく あか流く 一大
 示=ナ ハ字 ヲ
 居=鍬く 二 レテ
 天=コハく
 居=エん上
 示=寝津トハンバーデ とことン
 禮=豊デ温高
 奈=ナくラし
和訳 作り主は 清く明るく偉大な和字を 額に入れて 五百円上乗せ ネット販売で
常飛 豊で温厚な暮らし
天地之詞の和訳正訳
人の眉の本性は「東和の古典」
太陽の本心は「六王」
「言わざる」を 人に知らせよ
「死後の世」は「笑士」が 夢見る東和の七字
「東和の古典」と「六王」
家に置くだけで トコトン豊で
清く明るく偉大な暮らしを得ること可
天地之詞の和訳のあとがき
 私の東和の歴史観 「五王」は 東北の夷人たちが所有 しかし 題名は「東和の古典」ではなく 「日本」もしくは「永遠榮詞」 当時の「諺」は「言技」で 永遠に言う「言技」 その後「五王」は滅ぶ 江戸は「天地之詞」の題名で 「和王」の姿は 「のこのこのしのし」に変化 是が「犬も歩けば棒に当たる」等の諺として大流行 やがて 日本文化破棄西洋崇拝の明治自虐革命を迎へ 昔の「言技」休眠 皇国史観は 幕府に布教禁止とされた平田神道の雷鳴義塾の信奉者達が 靖国~社の神官等となり 過去にない「天皇を生き神とした神道急造」
 令和二年 東和の古典 史上初登場
色ハ歌の一句
いろ=「3ク」
ハ=眉ハ 集めて煙らし
にほへ=十○ノこてン
ちり =ハ一ヲつり
ぬる =3く○やがて
を  =きへ流

一句
 眉「ハ」 三苦集めて煙らし
 「東和の古典」 灰を釣り
 やがて 三苦は 消える
色ハ歌の二句
和が世 誰?租=アテルイ
       =ア天流一
       =ア転流「一」
           「奈」=ごノ大
アテルイ=五ノ王
五ノ王
 ノしノし木の聲(野山のd)
 ノしノしこの聲(庭のd)
 ノしノし木ノ聲(隣の檪)
 ノしノしこノ子へ(青人草)
 ノしノし小ノ小へ(此炉)

色ハ歌の三句前奏
へのへのもへじ
のしのしこノこへ和し
(のしのしこノこへ)和詞
のしのしこのこえ
故に へのへのもへじ=のしのしこのこえ
「羽衣」の奥や「ま」
「羽衣」の奥や「ま」
「ハゴロモ」の奥や「ヘノヘノ父」
「八語の二王」の奥や「へのへの父」
「へのへの父」=のしのしこのこえ

なるほど 和王は八語二王の後に居る
 ノしノし木の聲
 ノしノしこの聲
 ノしノし木ノ聲
 ノしノしこノ子へ
 ノしノし小ノ小へ
 のしのしこのこえ
「けふこ」「えて」
けふこ=けふ小
   =トハノいノち
   =永遠の生命
えて =こへナし
   =聲無
「浅き夢見路 詠もせず」
四句=末言
  =真言
  =浅き「夢見路」  詠もせず
  =浅き「一目見字」 詠もせず
浅き世界=東和の古典
その世界の「一目見字」 詠もせず
和訳
 念のために言って置きますが
 東和の古典の末言の「一目見字」も
 詠ずることは ありません
色ハ歌完訳
眉は 貧心病の三苦集めて煙らし
「東和の古典」は その灰を釣る
やがて 「三苦」は 消える
和が世の租のアテルイは「五ノ王」
「へのへの親字」は「のしのしこのこえ」
永遠の生命は 聲無
東和の古典の「一目見字」も読みません
第二 色葉歌 前奏
「日の本の国」は
何故 大爆発したのか
音色の世界から
音色の無い世界へ移住したかったのだ
「青葉」と「黄緑葉」は 「東和の古典」に
「黄葉古都」は「五王」に
「双葉」は「和王」になって移住完了
ここの移住が完了すると
「東和の古典」と「六王」は
「永遠の息の風」となり
この世を 常飛 繁栄させる

第二 色葉歌 四体確認
一体
 本文 青葉の「色葉」
 題字 黄緑の「色葉」
二体
 黄葉「古都」
三体
 笑士の「双葉」
四体
 笑士が夢見る「東和の七字」
色葉歌 一句
色葉「にほへ」と散り 寝る「を」
色葉「東和の古典」と散り 寝る「をー」

色葉=青葉と黄緑葉の文字

一五〇億年の時を 常飛 駆け抜け

ネットハガキの「色葉」は
「東和の古典」へと散り
「寝る王」となる
色葉歌 二句
和が世誰租 常鳴無
誰が「和世」「租」 常鳴無
誰が「古都」の「都」?「東夷の五人」 常鳴無

東夷の五人
 ノしノし木の聲(山のd)
 ノしノしこの聲(庭のd)
 ノしノし木ノ聲(隣の檪)
 ノしノしこの子へ(笑士)
 ノしノし小ノ小へ(個々炉)

和世=古都の都 租=東夷の五人
三句 「羽衣ノ奥」「矢ま」「京語得て」
羽衣ノ奥=「ハーノ」奥
    =「笑士」奥
矢=ー
ま=のノ二和
 =「のの」二葉
京語得て=六ノロ語得て
    =六の和語得て
和訳
 笑士の奥「ー芽のの葉」は 六の和語得て

三句 「羽衣ノ奥」「八ま」「京こえ天」
羽衣ノ奥=「はいノヲく」
    =「五詞の語句」
八ま  =「ハま」
    =「のハ二ツ」
    =「の」は「二」
京こえ天=「小」を「こ」 「へ」を「え」「にして」
三句の訳
 笑士の奥「ー芽のの葉」は
 五詞の語句
 「の」は二つ 「小」を「こ」 「へ」を「え」にして
 六の和語得て
 
四句 あさき夢見じ
「あさき」夢見「じ」
あきさ=あきさ
   =十の へ三し し十
   =父の笑士 始終
夢見 =夢見る
じ =し小ニ
  =七字
和訳
父の笑士 始終夢見る「七字」
四句 ゑひもせず

ゑ=い目ワ
 =今は
ひ=鍬三ノ
 =かみの
 =紙の
も=も字
せ=ノ七
ず=ト○ノ「いノ小」
 =永遠の生命

 今は 紙の文字の七「永遠の生命」
色葉歌 四句




父の笑士が始終夢見る「七字」


今は 紙の七文字 永遠の生命
第二色葉歌 完訳
舞台は今言ふ「サムシンググレート」
ビッグバン以前の「日の本の国」
そこは「ネット色葉ハガキの世界」
ここから「音色の無い世界」へ常飛進化
本文青葉 題字な黄緑葉は「東和の古典」
古都は「東夷の五人」
笑士の奥「ー芽のの葉」は 「の」は二つ
五詞の語句の「小をこ へをえ」にして六語得て
父の笑士が始終夢見る「七字」
今は 紙の文字の七 永遠の生命
豊さは 額に納める数で 変はる
豊かさはどこで変はるのか
禮=豊サハ
奈=十くニ長メ流
 =加くに納める
 =額に納める
居=十デカ
 =「父」でか
 =「かぞ」でか(父=かぞ『以呂波字考録』)
 =「数」でか
天=ハル
豊さは「額に納める数で変はる」
豊さは 家に貼る数で 変はる
豊かさはどこで変はるのか
禮=豊サハ
奈=いへニハル
 =家に貼る
居=「父」でか
 =「かぞ」でか(父=かぞ『以呂波字考録』)
 =「数」でか
天=ハル

豊さは「家に貼る数で変はる」
清く明るく偉大な心も ネットハガキの数で変はる
豊=きよくあか流く一大
 =清く明るく偉大
示=ナこ転も
=な心も
奈=寝ツトハ書ノ
 =ネットハガキの
居=数でか
天=ハル

清く明るく偉大な心も
ネットハガキの数で変はる
 
もっと簡易な偉大な心の育成法
 色葉ネットハガキはパソコン スマホといふ道具が無ければ出来ません 真の心技は 今 直ちに誰もが実行出来る技でないと 本物とは言へません そこで「奈禮居天」を再読しますと
豊=清く明るく偉大(解済)
示=ナ三ハ小ノつ寝
奈=ヲきく
居=数でか(解済)
天=はる(解済)
 お寺のお堂 コンサート会場 卒業式 山奥の静けさの中で ツーンと耳に聞こえる音色の
「津音」が 心の都の音
今すぐ出来る最高の心技
耳を澄ます
じっと聞く
しばらくすると ツーンと耳なる音が
聞こえてくる
慣れて来ると うるさい位に聞こえて来る
この耳鳴る「津音」が 心の都の「都音」
この「都音」を聞けば聞くほど
清く明るく偉大な心が育つ
こんな身近な音色の聞き取りに
最高の心技が あったんですね
連られて 心がスッキリ解読出来ました
心を解析
心=つ寝にきくしーン
 =常に聞くシーン

耳を澄ませば
どこでも聞こえる
しーん
聴けば 聴くほど
清く明るく 偉大な心
安心を解析
心=常に聞く「しーん」
安=ニく等ス
安心=常に聞く「しーん」に暮らすと安心
ちやうど ウィルスで大騒ぎの時
不安な方は 是非 耳を澄ませて
常に聞く「しーん」に暮らしてみて下さい
多分 安心して暮らせると思ひます
慣れて来ますと
うるさい位に 聞こえて来ます
「天地之詞」から発見した「物心共に豊になる法則」

暮らしの豊さは
 「東和の古典」を 額に納めた数に比例する
 「東和の古典」を 壁に貼る数に比例する

清く明るく偉大な心の豊さも
 しーんと耳なる音を聞く数に比例する
 色葉ネットハガキの数に比例 内容無関係

人の思ひと豊かな法は 全く無関係

令和二年 二月十八日
暮らしの豊かさの検証始まる
 私塾鶴羽實では 私論を検証するために 令和二年 二月一七日より 壁や掲示板や引き戸や天井等に 沢山の「東和の古典」を貼り始めました また 「東和の古典」を 貼るか 貼らぬか その事実だけに関係するならば 紙質にも無関係であると判断し 一番安いハガキに「東和の古典」を印刷して 毎日 どこかに 貼り続け 私論を検証してみることにしました
 よつて 私論に戸惑ひを感じられる絶対多数の方々は 私塾鶴羽實の実際の検証を ご覧になってから実践してみてください
色葉ハガキでの心の育成の事例
 色葉ネットハガキ 塾生四人の使用談話
一 心が落ち着くから継続して書きたい
二 どのサイトよりも 色葉ハガキが落ち着くし 深く考へられるので 続けて書きたい
三 自分と向き合ふ時間が楽しいし 深く自分の人生を考へられるから続けたい
四 一日の終はりに書くと 一日が整理されるし 明日どうしようか そんな考へが浮かんで来るし 書いてゐる時は心も調子がいい
「しーん」聞く偉大な心の育成事例
 これから集まりますが ちょっとしたイライラや 情緒不安定なら 静かに耳を澄ませて「しーん」といふ音を聞けば 十分程度で落ち着くのではないか 不眠症克服の事例は 発見したばかりで ありませんが 多分 寝る時に 耳を澄ませて「しーん」といふ音色を朝まで聞く覚悟で横になれば 知らず知らずの間に 寝入ってしまふのではないかと思はれます もちろん 「東和の古典」を丁寧に書き 壁に貼るか 額に入れてからお試し下さい その他 今後の事例報告をお待ち下さい
笑士の「往生」の修正
 笑士は ハガキの世界で「ノしノしこノ子へ」の姿で生きてゐますが そこから飛び出し 「かま土」で往生します つまり「かま土へ」往きます 是を和字で表現したものが「ノしノしこの子へ かま土へ」 よつて 笑士は「ノしノしこの子へ」の和字で往生と考へました


令和二年 二月十九日
あとがき 
 古代の夷人が考へた苦は 四苦八苦ではなく 貧心病の三苦 眉は この三苦を集めて煙らす その煙りの「灰」を「東和の古典」が釣り やがて三苦は消へる この「夷人」の 苦集滅道発見出来ず 人類 貧心病苦に喘(あへ)ぐ ならば この世の荒廃 「色葉歌の一句」訳せぬ日本人の知的怠惰による 本論 今は唯の戯言 「東和の古典」は もらって不愉快 捨ててスッキリ 唯のゴミ されど 事実唯真とあるが如く そのゴミがもたらす事実によって ゴミの評価も変はるだらう その評価の変化と 世の中の変化 この二つ
の変化をじっくり この目で確認したい
あとがき 
 「東和の古典」は 庭に「dの森」と「庭床」 隣りに「葉狩り檪の森」と「此炉」 この四つの品々から生まれました まさか こんな結論になると思ってもゐませんでした 春になると 檪が勢ひ良く 数千規模の数の葉を出します 刈るタイミングを研究しながら葉狩り三昧 草取り三昧の日々が しばらく続きます 私論=戯れ言の結果が出たら また 草取りしながら 日本文化を探る予定ですが しばらく 次の発想は 出て来ません 是で日本の心の探求が終了となることを期待してゐますが これから起こる現実を見て
駄目な時 潔く私論を否定するつもりです